久遠寺のご案内

縁起

宗祖 親鸞聖人
宗派 真宗高田派
本山 専修寺
寺号 久遠寺
山号 賢隆山
住職 第十九世 髙山元智
本尊 本尊阿弥陀如来像(伝空海作)
経典 浄土三部経(佛説無量寿経、佛説観無量寿経、佛説阿弥陀経)
寺宝 浄水石(天保四年寄贈)、親鸞聖人絵伝(四幅)

沿革

往昔 当寺は、伊勢国楠村の城下にありました。
永禄十年(1567) 伊勢国長島へ移転しました。
天正元年(1573) 清洲城下への願入を行い、後に清洲へ移住。当時の文献には、『福島宰相正則朝臣を便り、「便利な地を見立てて移るべし」と申され、この言葉を受け、尾張国清洲五条橋の地・朝日郷に移住し「久遠山見立寺」と号しました。』と記されています。
慶長15年(1610) 当寺中興開山浄光上人により、現在の地に至り「見立」を改め「久遠山賢隆寺」と改称しました。浄光上人は、久遠寺過去帳の中で事実上の開基上人です。
宝暦11年9月4日(1761) 当寺第九世昴運上人によって、山号寺号をひっくり返し現在の如く「賢隆山久遠寺」と山号寺号を改めました。
昭和20年3月19日(1945) 夜の大空襲によって境内建造物等全て焼失しました。 辛うじて、ご本尊阿弥陀如来像、掛軸数本が当寺第十八世貞親上人により難を免れました。
昭和22年(1947) 名古屋市の戦災復興土地区画整備事業(1947~1957)の一環で、市内に点在する279ヶ寺の墓地、合わせて約18ha、189,030基を平和公園へ移転しました。かなり徹底した事業で中区、東区、熱田区の寺院が中心に移転し、久遠寺墓地も約270基のお墓を移転しております。
昭和28年(1953) 戦後、焼け野原であった境内地に、第18世住職貞親上人・京子坊守と御檀家、御同行の多大な尽力により本堂建立。
昭和32年(1957) 庫裡を建立。
昭和41年(1966) 祖師聖人700回大遠忌記念事業により、書院を建立。
平成12年(2000) 書庫を建立。
平成15年(2003) 第18世住職 聞教院釋歓喜貞親上人、往生素懐
平成17年(2005) 旧庫裡を取り壊し、檀信徒の多大な御懇志によって、檀信徒総代である㈱大脇によって新庫裡を建立しました。 会館名を、当寺第十八世住職(聞教院釋歓喜貞親上人)の法名から歓喜の語を頂戴し、当寺が祖師聖人の教えを聞かせて頂き、身を歓ばしめ心に喜ばしめる願いを込め『歓喜館』と命名しました。正門、参道、外壁もこの機会に整備しました。
平成18年(2006) 歓喜館落成慶讃法要を勤修。
平成20年(2008) 受付・休憩所を建立し、葬儀・行事等に利用できるように整備しました。
平成21年(2009) 2月23日、第18世住職坊守 香華院釋荘厳妙薫大姉、往生素懐

真宗高田派

御教え

  • 宗派

    真宗高田派

  • 宗祖

    親鸞聖人

  • 本尊

    阿弥陀如来

  • 教典

    浄土三部経/仏説無量寿経(大経)、仏説観無量寿経(観経)、仏説阿弥陀経(小経)

  • 教義

    阿弥陀如来は、あらゆる者を浄土に救うという大きな誓いをたてられました。そして、われら凡夫(ぼんぶ)にはこの誓いを信じお念仏を申すことが浄土に生まれる因(たね)になると勧めてくださいます。
    高田派の宗風をいいあらわす言葉のひとつに「念仏高田」があります。親鸞聖人は、真宗のすくいを「念仏成仏 これ真宗」とのべられました。「凡夫である私たちがほとけになる道はただひとつ、他力の念仏による」との教えです。他力とは、ほとけさまのおはたらきであり、私たちへの呼び声がナモアミダブツだと親鸞聖人は明かしてくださいました。
    高田派に「念仏高田」という宗風があるといわれることは、親鸞聖人が伝えてくださいった「他力の念仏」に立った教団ということです。

高田本山

真宗高田派の本山で、専修寺(せんじゅじ)といいます。三重県の中ほど、津市一身田町に位置し、宗祖親鸞聖人のみ教えを受け継ぐ寺院で、高田本山と通称親しみを込めて呼ばれている寺院であります。その高田派に所属する寺院は全国に600余ヶ寺あります。また、栃木県真岡市にある本寺専修寺(ほんじせんじゅじ)と共に境内の御廟(ごびょう)に親鸞聖人のご遺骨をお守りしています。
本山専修寺の境内には数多くの伽藍(がらん)が建ちならび、中でも御影堂・如来堂は平成29年(2017年)11月28日付けで国より三重県初の建造物国宝指定を受けました。加えて、11棟もの国の指定重要文化財を抱える壮大な浄土真宗の本山です。国宝の西方指南抄などの法宝物も所蔵して現代に伝えています。また、真宗最大の法会、報恩講は毎年1月9日から16日まで勤まります。

山門開門時間 5:00 閉門時間 17:30
両御堂開門時間 6:00 閉門時間 15:30

高田派について http://www.senjuji.or.jp/

専修寺のあゆみ

親鸞聖人は関東各地を御教化中に、明星天子の夢のお告げを得て、54歳のとき栃木県真岡市高田の地に一宇を建立し、専修念仏の根本道場とせられ(後の専修寺本寺)ました。
ご本尊には、長野・善光寺からお迎えした一光三尊佛をご安置し、門弟の中のリーダーであった真仏上人を中心とした教団は、関東各地の檀信徒の中で最も有力な教団となり、聖人より自筆のお手紙や書物が送られ御教化に取り組まれました。

その後、関東の教団を高田教団と呼ばれ、専修寺は本寺と呼び、全国的に崇敬を集めるようになりましたが、一段と飛躍させたのが第10世真慧上人です。一身田の専修寺は伊勢国内の中心寺院として建てられたものでしたが、関東の本寺が兵火によって炎上したため、歴代上人が一身田に居住されるようになり、本山として定着しました。
一身田専修寺の伽藍は2度の火災に遭いましたが、立派に再建され、住持には皇族をお迎えして、門徒の崇敬はますます高まりました。数多い親鸞聖人のご真筆類は、今も大切に伝持され、教団の誇りとなっています。

伽藍&境内のご案内

正門

庫裡新築の際に、境内一新の一環に、正門も配備しました。この正門は檀信徒さまの特別ご懇志により建立することができました。山号寺号の寺標は、(株)大脇 代表取締役 大脇正義さまによって寄進されました。

浄水石

寺に入る際に、自身を清める場です。昔はから「洗耳(せんじ)」といい、平素は世俗の話に傾けている耳は汚れているとし、ほとけさまの教えを聞く時はまず耳を清めてから聞法した、と伝わっています。

参道

本堂までの道のりをなるべく気持ちよく通っていただけるように、戦災で残った石畳を参道に配置しました。平成17年の新庫裡建立以前はたくさんあった木々を整理し、緑に包み込まれるような配置にしました。ご来寺くださった方々が、短い時間でもほっと安心していただけるように、テラスにテーブルセット、参道にはいくつかのベンチをご利用ご用意しています。たくさんあった木々は、なるべく減らさないよう配慮しています。

境内

本堂は南向きに建てられています。昭和28年に建立したものの昭和34年の伊勢湾台風で影響を受けましたが、今もなおしっかりと健在しています。法要の際は、正門、参道、本堂へと歩みをすすめることで、自然と心身ともに清らかに整えていただけます。

テラス

正門を入ってすぐ左手にテラスのご用意があります。境内でのんびりしていただく、ほっとしたときなどにご利用くださいませ。またランチやテイクアウトを持ち込んでいただいても構いません。

書院・中庭

本堂の東には書院と中庭があります。参道より奥まった場所に位置し、お寺イベントや通夜葬儀の時の休憩所として利用できます。書院につながる道には飛び石が配置してあり、純和風建築の装いを楽しんでいただけます。

本堂

本堂は、一人ひとりの人生の悩みを超えるためにほとけさまの教えを聴聞する「聞法の道場」と親しまれています。横五間奥行二間半・三十二畳の大間(外陣)です。東余間、西余間はともに八畳あります。椅子席60席、座布団90枚を常備し、大勢の方がなるべく使えるように整頓には心がけています。

書院

通夜の休憩所やお寺イベント、また法要に待合室として利用いただきます。境内が一望でき、和の空間でのんびりお寛ぎくださいませ。また静かな空間をコワーキングスペースとしてご利用もいただけます。まずはご相談くださいませ。

茶室

書院の並びに茶室もあります。副住職が茶道・松尾流で日々稽古しています。趣ある和空間である茶室でお寛ぎください。(お茶のおもてなしは報恩講のみです。個人でのご利用希望はお問い合わせください)

庫裡

平成16年から庫裡新築を檀信徒総代と計画し、檀信徒皆さまからの多大なご懇志によって、平成18年に新庫裡「歓喜館」として建立することができました。ご法事や行事などの食事や休憩の時にゆっくりしていただけるように、座敷も30畳のスペースを設けました。春秋冬は雪見障子、夏は簾戸から境内を一望しながら季節を感じていただけます。庫裡玄関からはいっていただくと、本堂まで廊下が続いています。玄関も多くの方に使っていただけるように広めに設計しています。

住職ご挨拶

住職 高山元智(たかやまげんち)

住職 高山元智(たかやまげんち)

初めまして。久遠寺第十九世住職を未熟ながら伝統継承いたしました高山元智です。
副住職夫婦のお陰で、皆様方とインターネットを通じ、コミュニケーションができるご縁ができ嬉しく思います。
私たちの戦後まもない時代は、人と人が会い、互いに目と目を見て会話をしたものであります。もちろん現代でも重要なコミュニケーションです。 けれども、急速なインターネット普及によって、不特定多数の様々な人々と意見の交換が出来るようになりました。 私自身は新しい時代の変化に戸惑っている昨今でありますが、この久遠寺ウェブサイトが皆様との「よいこころの結びつき」の担い手となることを願うばかりであります。
私たちは平生『他を変わらせる事は難しく、まず自分が変わっていかなければならない』と頭で理解をしていても、雨が降れば「うっとおしい」と憂鬱になり、暑ければ「暑すぎる」と不平を言い、暇があれば「暇すぎる」と文句を言う始末です。その時その瞬間、自分を振り返り、どのような気持ちで生きているのか?その事実に生きる事を自らに尋ねなければならないことは、私自身の生涯の求道であります。ウェブサイトのコンテンツによって皆様が少しでも内省のこころが芽生え、仏道への一歩を歩んでくだされば嬉しく思います。
それでも何より『人間は人間らしく、自分は自分らしくを失わず』をモットーにそれぞれが人生を歩み、各々に久遠寺ウェブサイトをご活用くださることを願っております。どうぞ、よろしくお願い申しあげます。

南無阿弥陀佛

副住職 高山信雄(たかやましんゆう)

副住職 高山信雄(たかやましんゆう)

【経歴】

  • 名古屋市立名古屋南高校卒業
  • 龍谷大学文学部真宗学科卒業
  • 第二期未来の住職塾名古屋クラス卒業
  • 特定非営利活動法人おてらおやつクラブ代表副理事
  • まちのお寺の学校久遠寺校校長
  • 新栄祭り実行委員会会長
  • リヴオンいのちの学校ファシリテーター養成講座終了生

男の子3人の父親

私は寺の長男として、姉2人と一緒に何不自由なく育ててもらいました。小さい時はいろいろ寺のことを教えてくれた祖父と祖母。その時は怒られたり、諭されたり、ちょっとうんざりでしたが結局自分が選んだ道は寺の跡継ぎの道でした。ちゃんとレールが敷かれていたんですね。ですから大学進学中に得度もして大学卒業後、迷いもなくお坊さん・跡継ぎやる気満々でに入寺しました。

けれどもお坊さんを始めて数年で、「あれっ?」てなってしまった自分がいたのです。お寺のルーティンって、1年また1年と、ほとんど一緒。10数年経った時に、法務もマンネリ化してしまい自分の中でまったく進歩を感じることができず「このままではまずい、伝統を継承できない」と焦り、自信を喪失していました。そんな時にインターネット上で同世代が活躍している僧侶たちのサイト(超宗派インターネット寺院・彼岸寺 https://higan.net/)を眺めていて「こういう人たちにはなれないなぁ」と自分の行動力のなさに呆れながらも、どこかこんなお坊さんたちになりたい、仲間になってみたい、と強く願っていた自分を発見したのです。

ちょうどその時に檀信徒の息子さんから「寺の運営について学び場があるから行ってみたら?」と声をかけていただき早速行ってみることに。それが上記のサイトを運営していた代表が務める「未来の住職塾(https://mirai-j.net/)」。いわゆるお寺流の運営セミナーでした。宗派関係なく未来の寺について学ぶ、語る、聞き合うことで、寺の良きところ、仏教の本来すべきことを再確認することができ、「おれがやらなきゃ!」と息込んでいました。この学びはほんとうにご縁でしたね。どこかに自分が願うべく「因=たね」は転がっていて、良きも悪きも「縁」によって結ばれる。結果としてどう転がるかわからないけれども、なにかしらの結果が生まれる。それが繰り返し繰り返し自分の中で、そして自分の周りで起こっていることに気づかせてもらいました。常に一緒=マンネリではなく、まさに諸行無常=everything is changing(すべてのことは変化している)。
毎日が一緒だった私にとってまさに光明の兆しとなりました。「井の中の蛙」というか、いかに自分が狭い世界で生きていたかということに気づかされ、少し恥ずかしかったです・・・。でもそのおかげで世界が広がり、「社会ってこんな広がりがあるんだ!」と可能性という希望も持つ反面、「こんなに困っている、大変な思いをしている人がいたのか」という「苦」についても気づかされたのです。「苦」→「幸せ」へどのように転換するか、受け止めるか、自分にできることは何か、そして寺として何か関われないか、とあらゆることに挑戦している最中です。

僧侶を始めてもう20年目。
まだまだ不勉強ですし、好きなことよりも苦手なこともいっぱい。本当はのんびりしてぼっーーーーとしていたいけれど、やっぱり焦ることもしばしば(笑)
荒波のように変化の押し寄せてくる社会でこれからどのように寺があり続けていくのか、そして次世代にどうつないでいくのか、私にとっての大きな課題です。
日々自分自身に問いかけ、また寺族と語らいながら歩んでまいりたいと思います。

ほとけさまからの「大丈夫、大丈夫」と呼びかけられている声に耳を傾け、安心を日々いただく。このことを伝えることで、ご縁ある方々がのんびりのんびり、ひとやすみひとやすみしていただけるように。

そして穏やかで優しい「笑顔」になれる寺に、ようこそようこそ。