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お知らせ 2026.02.01

2月の掲示板

「ブレずに頑張れば、絶対誰かがみてくれる」

今月の掲示板は、出川哲朗さんの言葉です。

「どうせ誰も見ていない」「頑張っても意味がない」 ふとした瞬間に、そんな寂しさに襲われることはありませんか?

出川さんは、どんなに笑われても、泥にまみれても、自分の「一生懸命」を曲げない。その真っすぐな姿は、多くの人の心を掴んだのではないでしょうか。

浄土真宗では、阿弥陀さまという仏さまが「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」…すなわち、どんな時もあなたを「そのまま」見つめ、決して見捨てないと説いてくれます。

あなたがブレずに頑張っている時ももちろん、ブレてしまって、立ち止まっている時でさえも、です。

「絶対誰かがみてくれている」 その「誰か」とは、あなたを片時も離れず見守ってくださる仏さまのことかもしれません。でも他にもきっといるはず。

あなたは、決してひとりではありません。

 その温かな眼差しに抱かれながら、今日を歩んでまいりましょう。

南無阿弥陀仏

#ひとりじゃない
#出川哲朗
#寺の掲示板
#頑張りすぎず
#そのままのあなたで 

お知らせ 2026.01.01

新年のご挨拶

みなさま、あけましておめでとうございます🎍

旧年中は、久遠寺に心を寄せてくださり、誠にありがとうございました。

昨年は、多くの檀信徒のみなさまとご一緒にお念仏の声を重ねることができた一年でした🙏法要や行事を通して、「ともに手を合わせる時間」の尊さを、私自身あらためて感じております。心より御礼申し上げます。

また、地域の一員として、そして認定NPO法人おてらおやつクラブの理事として、人が集い、思いが交わる「場」をつくる機会にも恵まれた一年でした。お寺の内と外、地域と社会が、ゆるやかにつながっていく手応えを感じています。

さて、久遠寺がある新栄の三が日は例年通りとても静かです🌿

当山は鐘楼も戦後徴収のもと実存しておらず、また寺の周りにお檀家さまも多くないこともあって、(他のお寺さまには少し申し訳ない気持ちを抱えつつ💦)、お正月は連休をいただき、至極のんびりと過ごしております。

人通りの少ない朝、静かな境内で深呼吸をすると、こころも自然と穏やかになっていくようで、心機一転の気持ちに例年なっています。

今年は午年。そして住職は年男です。

年齢も重ねてきたところですので、勢いよく駆け抜けるだけでなく、思いがけないところから流れを変えていく――そんな🏇ブラックホースのような一年にしたいと思っています😆

一方で久遠寺は、変わらず皆さまの暮らしの中にそっと在り続ける🧘‍♂️安心の良き寄りどころでありたいと願っています。

走る者がいて、立ち止まれる場所がある。
その両方があってこそ、日々のくらしは整っていくのだと思います。

皆様にとって「寺があるくらし」が、皆さまお一人おひとりの安心につながるように。年男として一歩前へ進みながら、住職として足元を大切に、今年も精進してまいります🙏

本年もどうぞよろしくお願いいたします。皆さまにとって、穏やかで実り多い一年となりますように✨

南无阿弥陀佛

久遠寺第二十世住職
高山信雄

お知らせ 2025.12.31

令和八年一月の伝道掲示板

悔しい経験がないと、嬉しい経験もない。 大谷翔平

野球の世界は、観客を楽しませてくれる反面、プレーしている選手たちにとっては結果がすべての厳しい世界でしょう。

思うようにいかない日、打てない悔しさ、負ける痛みが必ずあるように思います。大谷選手は、そうした数えきれない「悔しさ」を重ねながら、世界の頂点へと上り詰めました。

仏教には、「苦楽不二(くらくふに)」という言葉があります。苦しみと楽しみは、別々のものではなく、ひとつであるという教えです。

悔しさを知っているからこそ、勝った喜びは深く、支えてくれた人のありがたさにも気づける。もし苦しみだけを避けて生きようとしたら、本当の嬉しさも、味わえなくなってしまいます。

今の悔しさは、未来の喜びの「タネ」かもしれません。無駄な経験は、ひとつもないはず。苦と楽は、同じ道の上にある。そう気づいたとき、人はもう一歩、前に進めるのではないでしょうか。

本年も同じ道の上に、苦と楽は共存すること、たとえ今が苦しくとも未来永劫続かないことを胸に、歩んでまいりましょう。

南無阿弥陀佛

お知らせ 2025.12.02

12月の伝道掲示板

「壁は自分自身だ」岡本太郎

今月の掲示板のことばは岡本太郎の「壁は自分自身だ」という、強く潔いおことばをいただきました。

私たちは、うまくいかないとき、「外側にある壁」にぶつかったと思いがちです。
でも仏教は言います。

『壁をつくっているのは、自分の中の“我”』だと。

  • 失敗したくない
  • 嫌われたくない
  • 認められたい

たとえば、新しい挑戦の前で「笑われたら恥ずかしい」と心が勝手にブレーキをかけてしまうこと。
周りは何も言っていないのに、自分だけが前に進めなくなる。

そのとき壁は、すでに自分の内側に立っているのです。

養老孟司さんも『バカの壁』で
「人は自分の理解の枠で世界を狭めてしまう」
と述べています。

壁にぶつかっているのではなく、壁を抱きしめて離さなかったのかもしれません。まずは、そっと自分に尋ねてみること。

「何にしがみついているのだろう?」

気づいた瞬間から、壁は少し薄れ、道は自然と足元に現れてくるのではないでしょうか。

お寺の日々 2025.11.22

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久遠寺では、「お寺のあるくらし」を皆さまと共に歩んでいくため、

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お知らせ 2025.11.05

11月の伝道掲示板

「面倒くさいことを回避しては絶対生きてはゆけない。がんばって!面倒くさいことを」マツコ・デラックス

私自身は「面倒くさい」と感じたりすると、いかに逃げようか、先送りにできないかと考えてしまいます。しかし、仏教では「面倒くさい」と感じるその心こそ、自分の思い通りにしたいという煩悩の声だと思うわけです。

親鸞聖人は「人間は煩悩具足の凡夫」とお伝えくださいました。
つまり、面倒だと思うのは“ダメな自分”ではなく、“ありのままの自分”だということです。

大切なのは、煩悩をなくすことではなく、
「面倒くさいなぁ」と感じる自分をそのまま認めながら、一歩だけ手を動かしてみること。

たとえば仏壇に手を合わせることも、掃除をすることも、誰かに声をかけることも、なんでもかんでも少し「面倒」な始まりからスタートします。

けれど、面倒の先にある つながり・安心・あたたかさ が、私たちを生かしてくれています。

面倒くささは、いのちが歩みを止めようとする瞬間。
その一歩を踏み出すとき、私たちはまた生き始めるのではないでしょうか。

人生、面倒なことばかり(思い通りにしたいことばかり)。そんな自分を受け入れながら、なんとか立ち向かいましょう。面倒なことに笑

南無阿弥陀佛

お知らせ 2025.10.04

10月の伝道掲示板

「無意識の積み重ねが今のあなたを作り出す」川村妙慶


無意識下の行動って思い返せばいくつか思い当たると思います。
例えば、朝起きたときに顔を洗う、歯を磨くのは左奥歯から、靴は右足から履く、道を歩くときにいつもの道を選んだり。

そんな小さな習慣や癖は、自分自身が気づかないうちに私たちの毎日を支えています。他にも、人と話すときの反応のしかた、つい口にしてしまう言葉、イライラしたときの態度も然り。

「よし、こうしよう」と意識してやっているよりも、むしろ無意識の積み重ねが「今の自分」を作っているのではないでしょうか。

仏教ではこれを「業(ごう)」といいます。

過去に自分がしてきたことだけでなく、家族や社会から受け継いできたもの、思いもよらない縁や出来事も全部ふくめて、私の中に積み重なって、折り重なっているわけです。

だから「今の私」は、自分ひとりの力で出来上がったわけじゃないんですね。いままでの「業」により形成されています。

「もっとちゃんとしなきゃ」と思い詰める自分も、ついカッとなってしまう自分も、ただ過去の積み重ねの中で生かされている姿なんだと受け止められると、自分に優しく、少し気が楽になるような気がしませんか?

良いも悪いも無意識に振り回される私。自分ではどうにもならない心のクセに気づくとき、他の人の不器用さも寛容になれるかも。
そうした時に、少しずつ心がほぐれて、思いがけないやさしさが生まれきたら、ありがたいことです。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.09.06

9月の伝道掲示板

「咲いた花を喜ぶ人は多いが、咲かせた根を労う人はない」川村妙慶

花は、美しく咲いた瞬間に人の目を惹きます。
けれども、その花を咲かせるために、土の中で根は黙々と水や養分を吸い上げ、支え続けてきました。普段は誰の目にも留まらないそのはたらきがあってこそ、花は咲いています。

人の世も同じではないでしょうか。輝く成果や目立つ存在の背後には、見えない、気づかれない努力や支えが必ずあるはずです。

自分自身においても同じで、「私が一人で生きている」のではありません。

ご先祖さま、仏さま、家族、友人、社会、自然――

数え切れないご縁に支えられて「いま」の私があります。

法語はそのことに気づかせてくれます。

現代社会はどうしても「成果」や「見えるもの」に目が行きがちですが、見えないところで支え続けてくれている「根」に心を寄せ、「おかげさま」と感謝することができるのではないでしょうか。そうすれば、人と人との関わりはもっとあたたかく、やさしいものになるように思います。

ほとけさまのあり様も然り。見えないところで「我に任せよ!」とお念佛を通して、わたしたち一人ひとりに喚び続けてくださっていることに気づかせてくださる言葉です。

見える花だけでなく、見えない根を想う心を忘れずにいたいものですね。