9月の伝道掲示板

お寺の日々 2025.09.06

9月の伝道掲示板

「咲いた花を喜ぶ人は多いが、咲かせた根を労う人はない」川村妙慶

花は、美しく咲いた瞬間に人の目を惹きます。
けれども、その花を咲かせるために、土の中で根は黙々と水や養分を吸い上げ、支え続けてきました。普段は誰の目にも留まらないそのはたらきがあってこそ、花は咲いています。

人の世も同じではないでしょうか。輝く成果や目立つ存在の背後には、見えない、気づかれない努力や支えが必ずあるはずです。

自分自身においても同じで、「私が一人で生きている」のではありません。

ご先祖さま、仏さま、家族、友人、社会、自然――

数え切れないご縁に支えられて「いま」の私があります。

法語はそのことに気づかせてくれます。

現代社会はどうしても「成果」や「見えるもの」に目が行きがちですが、見えないところで支え続けてくれている「根」に心を寄せ、「おかげさま」と感謝することができるのではないでしょうか。そうすれば、人と人との関わりはもっとあたたかく、やさしいものになるように思います。

ほとけさまのあり様も然り。見えないところで「我に任せよ!」とお念佛を通して、わたしたち一人ひとりに喚び続けてくださっていることに気づかせてくださる言葉です。

見える花だけでなく、見えない根を想う心を忘れずにいたいものですね。

お知らせ 2025.09.02

新栄祭を終えて

閉宴から数日が経ちました。

ご来場くださった皆さま、お手伝いくださった仲間たち、そして惜しくもお越しいただけなかった方々――おかげさまで、11年目・第8回となる新栄祭を無事に終えることができました。厚く御礼申し上げます。

当日は、日本一の暑さを記録した名古屋での開催でした。
熱中症や来場そのものを案じておりましたが、思いのほか多くの方に足を運んでいただき、新栄への「熱い思い」に触れる一日となりました。

住職は実行委員会の会長でもありますが、そもそもは寺の住職です笑
住職として、この地域の中で「祭」を続けることには大きな意味があると感じています。

子どもたちにとっては、汗をかき、笑い、友だちや親子で遊ぶ時間そのものがかけがえのない学びであり、生きた喜びの体験と思っています。便利な時代だからこそ、身体と心を通して「今」を楽しむ経験を大切にしてほしいと願います。だからこそ、いっぱい遊んで欲しい願いから、低価格ハズレなしで運営しています。

また大人にとっても、祭は新栄という“ごちゃ混ぜ”の地域性を存分に味わえる場です。世代や立場を超え、地域の人々と出会い交わるそのひとときは、地域の温かさを再発見する機会となります。寺が地域の真ん中にあって祭に関わることも、またひとつの社会貢献のかたちだと考えています。

実行委員会の仲間たち飲食業の方がほとんどです。寝る間も惜しんで、それぞれの仕事を抱えながら役割を果たし、最後まで責任をもって取り組んでくれました。本当に心強い存在です。毎年反省会の時にに「日にちを変えようか」という声も毎年出るのですが、結局は来年も「暑いね」と言い合いながら、夏の最終日曜日に開催することになるでしょう。

今年の反省を糧とし、年明け頃から準備を始めます。どうぞ来年も新栄に足をお運びいただき、この祭に関わっていただければ幸いです。子どもも大人もそれぞれのかたちで「楽しむ」ことができる、そんな新栄祭を続けてまいります。


議員先生や地域の方々と開会式で乾杯

お寺の日々 2025.09.01

駐車場整備

新栄祭の翌日、駐車場整備を実施しました。

消えかけていた白線を引き直し、区画もスッキリ✨

契約者やお寺にご用がある皆様が安心して使えるよう、整備をもろもろ進めています🙏

整備前

整備後

お寺の日々 2025.08.05

8月の伝道掲示板

「生命を最高に輝かせるのは自分」オーランド・ブルーム


別に輝かなくてもいい、と思われるかもしれません。

輝く=充実する、豊かに過ごす、そんな意味合いで捉えてもらえれたらと思います。

仏教では、「すべての現実は自分の心のありようによって生じる」と説かれます。自分が苦しいと思えば世界は苦しみに満ち、自分が喜びを見出せばその中にも光があるということです。つまり、苦しみも喜びも大部分は自分の心が作っています。

「よし!変わろう」と思ってもできない背景には、自分でも気づいていない執着があると思います。「人にどう思われるか」や「自分はこうでなければいけない」という思い込みをしていませんか?

すべてのいのちは、生まれながらにして仏になる可能性(仏性)を持っています。それを「輝かせるかどうか」、つまり心が安寧で不安や悩みもなく充実していくには、その人の気づきと実践にかかっています。

「生命を最高に輝かせるのは、自分」

というのは仏になるという種をどう育てていくかはあなた次第ということ。
日々の気づきと実践(チャレンジ)を忘れないよう、自問自答したく今月の伝道掲示板のことばとしたいと思います。

合掌

お寺の日々 2025.07.03

7月の伝道掲示板

「俺の敵はだいたい俺です」

宇宙兄弟という漫画の一言です。


「あぁ。本当のことを言われたわ」と心に突き刺さりました。


自分の中には、思い通りにしたいという欲、手放せない執着、だからこそ思い通りにならないことへの怒りが激っています。おそらく笑。

でも、そうは思いたくないから自分以外のせいにしようと原因を外に探している自分がいます。そうじゃないとわかっているのに、本当のことを見つめず、内にこそ原因があるのに、、、目を背けています。

この根っこにあるのは、他人のせいではなく、自分のせいと認めたくない煩悩に囚われてしまった私自身です。本当の敵とは、自分を見誤らせ、迷わせ、他人を責めさせる「自分の心の在り方」なのかもしれませんね。

だから仏さまは、「自分の心を整えよ」と叱ってくださるのかもしれません。

(叱ってくださるかはわかりません笑)

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.06.28

松山へ、日帰りのご縁

先日、おてらおやつクラブの活動についてお話しする機会をいただき、愛媛・松山まで行ってまいりました。

日帰り、しかも直行直帰という慌ただしい旅ではありましたが、心に残る一日となりました。

今回の講演は、曹洞宗四国管区研修センターの主催によるもので、100分の予定を超えて約120分の長丁場。

にもかかわらず、最後まで熱心に耳を傾けていただき、活発なご質問も多数寄せられました。

「おすそわけ」の背景にある思い、現場で感じるひとり親家庭の声、そしてお寺が果たす役割について、改めて多くの気づきを共有できたように感じます。

講演後は、あまり時間もなかったため、松山空港で小さなごほうびを。

蛇口から出る名物「みかんジュース」と、愛媛ならではの「鯛めし」をいただきました。

土地の味を楽しむことで、気持ちも少しリフレッシュ。

いつもとは違う空気に触れることで、新たな視点や活力をいただけることを実感します。

直行直帰とはいえ、お寺を離れることを快く許してくれる前住職や寺族の理解と支えには、心より感謝しています。

こうしたご縁をいただけるのも、日々の支えがあってこそ。

いただいた学びを胸に、これからの法務にもいっそう励んでまいります。

お寺の日々 2025.06.25

蓮の花が咲きました

久遠寺の境内に、今年も蓮の花が咲いてくれました。

実は昨年は、カラスのいたずらや天候の影響もあり、ほとんどの蓮鉢が咲かずに終わってしまいました。楽しみにしていた皆さまには、残念なお知らせとなってしまったことを今も覚えています。

だからこそ、今年の開花には、例年以上のよろこびを感じています。小さな蕾がふくらみ、朝の光を浴びて凛と咲く姿を見つけたときは、思わず足を止めて見入ってしまいました。

蓮は、泥の中から立ち上がり、美しい花を咲かせます。仏教では、「煩悩の世界にありながらも、清らかに生きる姿」の象徴、仏様を表す花です。その姿は、日々の暮らしの中で迷いや悩みに揺れる私たちに、そっと語りかけてくれるようです。

どうかご参拝の際は、境内の蓮にも目を向けてみてください。季節の移ろいとともに、心にやさしい風が吹くひとときとなれば嬉しく思います。

お寺の日々 2025.06.03

6月の伝道掲示板

「形は心をつくり、心は形を育てる」

今月掲示したこの言葉は、次男の中学校の入学式で、校長先生が新入生たちに贈られたものでした。

この言葉を聞いて、ふと「形即心(けいそくしん)」という禅の教えを思い出しました。
「形即心」とは、姿や行動、所作のひとつひとつに心があらわれるという意味です。つまり、形と心はひとつに結びついているという考えです。

校長先生のお話は、「まず形を整えなさい。すると、そこにふさわしい心が自然と育っていく」というものでした。
これは「形即心」と似ているようで、少し違うアプローチかもしれません。形が先にあって、それに心が追いつき、やがて形をまた育ててくれる。そんな循環を感じました。

私自身、僧侶になりたての25年前は、「僧侶の姿をする」ことしかできませんでした。中身はともなっていなかったと思います。でも、衣を身にまとい、お勤めを重ね、自分に問いかけながら過ごすうちに、「こうありたい」と思う心が少しずつ育ってきたように感じます。

最近では、「衣を着ているから僧侶」ではなく、「衣を着ていなくても僧侶」という自覚が、ようやく自分の中に根づいてきた気がしています。そう考えると、やはり「形は心をつくり、心は形を育てる」という言葉には深い真実があるように思うのです。

みなさんはいかがでしょうか?
「まずは形から入る」とよく言いますが、そこにもきっと意味があるのだと思います。みなさんのご経験も、ぜひお会いした時に聞かせてくださいね。