お知らせ

お寺の日々 2025.04.01

4月の伝道掲示板

「人生三万日しかない」中川翔子

そんなにあるの?それだけしかないの?と直感的に思うことはさまざまかと思います。三万日とは、365日×84歳(日本人平均寿命)=30660日のこと。平均寿命なので、三万日より多くなったり少なくなったりするのも当然です。

一日が過ぎるのはあっという間🤏
一年365日が過ぎるのもあっという間🤏

お檀家さまと日々お話していると
「この歳になるまで、あっという間。年齢を重ねるようにになってから余計早いわ」
とよくお聞きします👂
本当にその通りですよね。わたしも気分は30代ですが、年齢は46歳。本当にあっという間です😱

あっという間のこの「生」の時間。
仏教界では、迷いの解決がために「人身受け難し」のいのちを今、私は授かっています。
それは、生きている「今」しかできません。

この三万日をどう過ごすか、を一緒に考えて参りましょう🙏

お寺の日々 2025.03.03

3月の伝道掲示板

「おかげさまといえる人生に孤独はない」

「お(ご)」と「さま」をつける日本語って思いのほか多くあります。

・おたがいさま

・おつかれさま

・ごちそうさま

・おせわさま

・ごくろうさま

など他にもまだまだありますが、経緯や感謝の具合をさらに上位互換するために「お(ご)」と「さま」をつけていまよね。

おかげさまもそのひとつ。ただの「かげ」であるのに「お」と「さま」をつけています。

目に見えない、気が付かない、けれどもそういった「おかげさま」によって、「おかげさま」の支えがあって、私が存在してきた事実がこの言葉に含まれています。

けれども、仏教では「独生独死独去独来」が説かれます。

「独り生じ独り死し、独り去り独り来る」

人は、所詮独りの人生です。生まれてくるときも死ぬ時も独りです。たとえ多くの人々に見守られていたとしても、その生死には孤独で立ち向かわなければなりません。誰とも共にすることもなく、誰にも代わってもらうことはできないのが、人生の定説です。

そんな私は、当然のように人とつながりを持たなくては生きてはいけない存在ではありますが、どこかで孤独を感じている、孤独を恐れています。

そんな孤独な人生の姿に気づいた時、つねに(いつでも)、ここに(わたしと)、ともに(一緒に)寄り添っていてくださるほとけさまの大きな慈悲に気付かされ、喜びの人生となるのではないでしょうか。

目に見えるものが全てではない。

おかげさまを感じることで、孤独ではない大切な人生が垣間見えると思います。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.02.02

2月の伝道掲示板

「大変と思えば何でも大変。大したことじゃないと思えば大したことじゃない」土屋アンナ

その通りですね。でも思ってもなかなかできないのも百も承知。大変が起こる時は、いつも「苦」と隣り合わせ。

あの人と一緒にいたくない

頭では理解できるのに身体がついていかない

思い通りに物事がうまくいかない

いろいろな大変は大変に決まっているけれども、その大変を明らかにすること、つまり諦めることが大切。

あの人と一緒にいたくない→いなければいい、意識しなければいい

頭では理解しているけど身体がついていかない→自分が動ける範囲で動けばいい

思い通りに物事がうまくいかない→思い通りになると思わなければいい

そんな簡単にいっても、、、、はもちろんですが、ここが鍛錬のしどころ。

大したことじゃないと思いながら、日々過ごすことができればストレス軽減、負荷なく過ごせるはず。

わたしもゆっくり過ごしたお正月気分をなるべく間延びさせながら過ごしています。何かに追われる毎日より、追われる前に「これなら大丈夫、心配ない」と思えるよう余裕を持って過ごしています。

要は考えようですかね。ゆったり身構えましょう笑。

南無阿弥陀佛

お知らせ 2025.01.07

桂竹千代 落語会を開催します

古代史落語家の桂竹千代がお寺にやってきます!
古代史落語1席、他2席を予定。

新年早々、笑いで年明けしてみませんか?


予約は不要です。当日そのままお寺にご来寺くださいね。
心よりお待ちしております。

お寺の日々 2025.01.04

1月の掲示板伝道

【迷わずいけよ、行けばわかるさ】アントニオ猪木

新年明けましておめでとうございます。
今年初めての掲示板はアントニオ猪木さんの有名な言葉「道」からいただきました。仏教的にいただくならどうなるをテーマに今年も掲示板伝道を継続していきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。

この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。

人生という道を歩んでいる、どの状況の方にも当てはまる言葉ですね。これからという未来を見据えた時、背中を押してくれる言葉ではないでしょうか。

仏教には「二河白道」の譬えという教えがあります。

人の世に生きるからこそ抱える怒りや憎み、欲望、異論などが私に付き纏い襲ってくる中で、東岸の釈迦に「信じて行け!」、進むべき西岸の弥陀に「大丈夫だ、こちらへ来い!」と聞き、わずか15cmほどの道をひたすら進みます。

お念仏の道も「迷わずいけよ、行けばわかるさ」とほとけさまが願いはからい、お念仏をわたしたちの元へ届けてくれました。

ほとけさまはわたしたちのことをよく理解してくださっている。けれども、わたしたちはなぜ届いたのかわからない。でも大丈夫だ、心配するな、信じて進め、と願う仏さまの願いだけは知っている。

願いを知り、お任せします、といただくお念仏申し上げる日を、今年も過ごしてまいりましょう。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.12.10

バケツ置き場を設置しました

平和公園久遠寺墓地にバケツ置き場を設置しました。

今まで休憩所である小屋の座面で片付けておりましたが、

小屋はお参りの時の休憩所としたい。
お参りしやすい環境を整えたい。

との思いから設置することとなりました。
おかげさまで小屋の中もスッキリ。


スッキリすると、心もなんだか整理されます。
皆様もお参りした際、いろんな抱えごとが手を合わせることでスッキリしたらな、と願っております。

お墓のことでお困りの際は、住職またはいつもお世話になっている光徳石材店さんにご相談くださいね。

お寺の日々 2024.12.01

12月の掲示板伝道

『人には燃えることが重要、燃えるためには薪が必要。薪は悩みである。悩みが人を成長させる。』 松下幸之助

何もないところに火はおきませんし、燃えることなどできません。
当然、燃えるための「薪」があるからこそ、燃えることができるわけです。 悩み=「煩悩」と捉えてみると、煩悩とは、欲、怒り、無知のこと。 人である以上きっと私の煩悩は切っても切れないものです。

でもこの煩悩、なかなか自分であきらかにすることができません。自分は煩悩などないとさえ思ってしまいます。

ほとけさまの教えを聞いて、煩悩に初めて気づく。煩悩は断ち切れない、煩悩と一緒に生きていかねばならない私に気づく。そんな私は煩悩の解決のため、がむしゃらにもがくわけです。

もがくことこそ、悩むこと、考え抜くこと、明らかにすること。

今私の身の回りにあるものこそ、先人たちが我が煩悩に気づき、もがきながら明らかにされた産物なのですね。

おかげさまに感謝、、、


南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.11.28

こどもえんにちを開催しました

毎年恒例となりました、NPO法人連携のイベント「こどもえんにち」を開催しました。あいにくの雨ではありましたが、こどもたちはお構いなし。

当日の詳細は、連携団体のLivEQuarity HUBさんの開催報告記事をご覧ください。

https://livequality.co.jp/hub/about/news/241121

この人数でボランティアさん半分。総勢40世帯の家庭をお招きできました。
ボランティアさん、関係者との集合写真です