久遠寺永代供養墓「まどかの丘」お参り

お寺の日々 2025.03.07

蓮リベンジ

昨年は、カラスに新芽がつつかれほとんど咲くことができなかった蓮たち。

今年は、いろいろな品種を買い揃え、リベンジすることにしました。なんとかカラスの遊びとならないよう対策を試みますが、、、、さてどうなることか。

また経過をお伝えします。

お寺の日々 2025.03.03

3月の伝道掲示板

「おかげさまといえる人生に孤独はない」

「お(ご)」と「さま」をつける日本語って思いのほか多くあります。

・おたがいさま

・おつかれさま

・ごちそうさま

・おせわさま

・ごくろうさま

など他にもまだまだありますが、経緯や感謝の具合をさらに上位互換するために「お(ご)」と「さま」をつけていまよね。

おかげさまもそのひとつ。ただの「かげ」であるのに「お」と「さま」をつけています。

目に見えない、気が付かない、けれどもそういった「おかげさま」によって、「おかげさま」の支えがあって、私が存在してきた事実がこの言葉に含まれています。

けれども、仏教では「独生独死独去独来」が説かれます。

「独り生じ独り死し、独り去り独り来る」

人は、所詮独りの人生です。生まれてくるときも死ぬ時も独りです。たとえ多くの人々に見守られていたとしても、その生死には孤独で立ち向かわなければなりません。誰とも共にすることもなく、誰にも代わってもらうことはできないのが、人生の定説です。

そんな私は、当然のように人とつながりを持たなくては生きてはいけない存在ではありますが、どこかで孤独を感じている、孤独を恐れています。

そんな孤独な人生の姿に気づいた時、つねに(いつでも)、ここに(わたしと)、ともに(一緒に)寄り添っていてくださるほとけさまの大きな慈悲に気付かされ、喜びの人生となるのではないでしょうか。

目に見えるものが全てではない。

おかげさまを感じることで、孤独ではない大切な人生が垣間見えると思います。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.03.01

永代供養墓「まどかの丘」リーフレットができました

やさしく、わかりやすいご案内リーフレットができました。

「子どもがいない」
「家族に負担をかけたくない」
「ひとりの将来が少し心配」
現代の供養には、さまざまなお悩みがあります。

そんな声にお応えするかたちで、
久遠寺では平和公園の各家のお墓はもちろん、境内納骨「あかり御堂」、永代供養墓『まどかの丘』をご案内しています。

このたび、「どんなお墓?」「費用は?」など、わかりやすいリーフレットをつくりました。
写真も多く、はじめての方にも安心して見ていただける内容です。

ご自身のこと、ご家族のこと、
「もしものとき」に備えて考えたい方は、どうぞお気軽にお取り寄せください。
ご希望の方には、無料でお送りいたします。

▼資料請求・お問い合わせはこちらから
https://kuonji.net/inquiry/

久遠寺は、いつでもみなさまの思いに寄り添える場所でありたいと願っています。

お寺の日々 2025.02.23

第十八世坊守の十七回忌法要を勤めました。

祖母の法事が勤めることができました。

父母(第十九世住職夫婦)もできる範囲でいろいろな手配や気遣いをしてくれ、滞りなく勤めることができたのが何より感謝です。

今夏に祖父の23回忌も控えていますが、その次の年回忌がきたら段取りを担うのは紛れもなく私と自覚しています。

ご法事への気持ちも年々変化を感じるところで、いかに法事=法の事として捉えれるか、さらには法要=法の要とは何かを私自身法事を通して気づき伝えていかねばならぬ時と再確認しました。

今までの感謝とともに先々の示唆をいただけた祖母の法事に感謝です。

おかげさまですね。

写真は、祖母の帯から作ったと聞いている角掛です。大切な帯を仕立ててまで、寺の荘厳を尊ぶ気持ちを忘れず仕えてくださったのだと、襟を正す気持ちで毎度準備しています。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.02.15

春の始まり

久遠寺の境内の花々は、蝋梅から始まります。蝋梅が咲くと、寒かった冬がようやく終わり、春に向けて歩み出したなぁと感じるばかりです。

花言葉は、
慈しみ」
「ゆかしさ」
「先導」
「先見」
らしいです。感じていることは皆一緒ですね。

まだまだ寒い日が続きますが、永遠ではありません。いつかは春がやってきます。その日までしっかりと準備を整えてまいりましょう。

お寺の日々 2025.02.02

2月の伝道掲示板

「大変と思えば何でも大変。大したことじゃないと思えば大したことじゃない」土屋アンナ

その通りですね。でも思ってもなかなかできないのも百も承知。大変が起こる時は、いつも「苦」と隣り合わせ。

あの人と一緒にいたくない

頭では理解できるのに身体がついていかない

思い通りに物事がうまくいかない

いろいろな大変は大変に決まっているけれども、その大変を明らかにすること、つまり諦めることが大切。

あの人と一緒にいたくない→いなければいい、意識しなければいい

頭では理解しているけど身体がついていかない→自分が動ける範囲で動けばいい

思い通りに物事がうまくいかない→思い通りになると思わなければいい

そんな簡単にいっても、、、、はもちろんですが、ここが鍛錬のしどころ。

大したことじゃないと思いながら、日々過ごすことができればストレス軽減、負荷なく過ごせるはず。

わたしもゆっくり過ごしたお正月気分をなるべく間延びさせながら過ごしています。何かに追われる毎日より、追われる前に「これなら大丈夫、心配ない」と思えるよう余裕を持って過ごしています。

要は考えようですかね。ゆったり身構えましょう笑。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.01.04

1月の掲示板伝道

【迷わずいけよ、行けばわかるさ】アントニオ猪木

新年明けましておめでとうございます。
今年初めての掲示板はアントニオ猪木さんの有名な言葉「道」からいただきました。仏教的にいただくならどうなるをテーマに今年も掲示板伝道を継続していきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。

この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。

人生という道を歩んでいる、どの状況の方にも当てはまる言葉ですね。これからという未来を見据えた時、背中を押してくれる言葉ではないでしょうか。

仏教には「二河白道」の譬えという教えがあります。

人の世に生きるからこそ抱える怒りや憎み、欲望、異論などが私に付き纏い襲ってくる中で、東岸の釈迦に「信じて行け!」、進むべき西岸の弥陀に「大丈夫だ、こちらへ来い!」と聞き、わずか15cmほどの道をひたすら進みます。

お念仏の道も「迷わずいけよ、行けばわかるさ」とほとけさまが願いはからい、お念仏をわたしたちの元へ届けてくれました。

ほとけさまはわたしたちのことをよく理解してくださっている。けれども、わたしたちはなぜ届いたのかわからない。でも大丈夫だ、心配するな、信じて進め、と願う仏さまの願いだけは知っている。

願いを知り、お任せします、といただくお念仏申し上げる日を、今年も過ごしてまいりましょう。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.12.10

バケツ置き場を設置しました

平和公園久遠寺墓地にバケツ置き場を設置しました。

今まで休憩所である小屋の座面で片付けておりましたが、

小屋はお参りの時の休憩所としたい。
お参りしやすい環境を整えたい。

との思いから設置することとなりました。
おかげさまで小屋の中もスッキリ。


スッキリすると、心もなんだか整理されます。
皆様もお参りした際、いろんな抱えごとが手を合わせることでスッキリしたらな、と願っております。

お墓のことでお困りの際は、住職またはいつもお世話になっている光徳石材店さんにご相談くださいね。