境内は春爛漫part2──よりどりみどりの花の季節です

お寺の日々 2025.03.18

四日市までお彼岸説教へ

今年のお彼岸も、例年ご法縁をいただく四日市のお寺様へ伺いました。
ここのお寺様のお檀家さまたちは、本当に聞き上手でこちらの口がどんどん滑るように本音をだして、楽しくお話することが叶います。

今年は、二河白道について。
アントニオ猪木の「迷わず行けよ、行けばわかるさ」を皮切りにお話させていただきました。

仏教と社会は隔離しているのではなく、すべてがつながっている。つながりが見えてこれば、こんなわたしもほとけさまのご縁の中、ご縁をいただいていたと気づかせていただける。

そんなお話がお伝えしたく。
今回もご縁いただき、ありがとうございました。

南無阿弥陀佛



お寺の日々 2025.03.07

蓮リベンジ

昨年は、カラスに新芽がつつかれほとんど咲くことができなかった蓮たち。

今年は、いろいろな品種を買い揃え、リベンジすることにしました。なんとかカラスの遊びとならないよう対策を試みますが、、、、さてどうなることか。

また経過をお伝えします。

お寺の日々 2025.03.03

3月の伝道掲示板

「おかげさまといえる人生に孤独はない」

「お(ご)」と「さま」をつける日本語って思いのほか多くあります。

・おたがいさま

・おつかれさま

・ごちそうさま

・おせわさま

・ごくろうさま

など他にもまだまだありますが、経緯や感謝の具合をさらに上位互換するために「お(ご)」と「さま」をつけていまよね。

おかげさまもそのひとつ。ただの「かげ」であるのに「お」と「さま」をつけています。

目に見えない、気が付かない、けれどもそういった「おかげさま」によって、「おかげさま」の支えがあって、私が存在してきた事実がこの言葉に含まれています。

けれども、仏教では「独生独死独去独来」が説かれます。

「独り生じ独り死し、独り去り独り来る」

人は、所詮独りの人生です。生まれてくるときも死ぬ時も独りです。たとえ多くの人々に見守られていたとしても、その生死には孤独で立ち向かわなければなりません。誰とも共にすることもなく、誰にも代わってもらうことはできないのが、人生の定説です。

そんな私は、当然のように人とつながりを持たなくては生きてはいけない存在ではありますが、どこかで孤独を感じている、孤独を恐れています。

そんな孤独な人生の姿に気づいた時、つねに(いつでも)、ここに(わたしと)、ともに(一緒に)寄り添っていてくださるほとけさまの大きな慈悲に気付かされ、喜びの人生となるのではないでしょうか。

目に見えるものが全てではない。

おかげさまを感じることで、孤独ではない大切な人生が垣間見えると思います。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.03.01

永代供養墓「まどかの丘」リーフレットができました

やさしく、わかりやすいご案内リーフレットができました。

「子どもがいない」
「家族に負担をかけたくない」
「ひとりの将来が少し心配」
現代の供養には、さまざまなお悩みがあります。

そんな声にお応えするかたちで、
久遠寺では平和公園の各家のお墓はもちろん、境内納骨「あかり御堂」、永代供養墓『まどかの丘』をご案内しています。

このたび、「どんなお墓?」「費用は?」など、わかりやすいリーフレットをつくりました。
写真も多く、はじめての方にも安心して見ていただける内容です。

ご自身のこと、ご家族のこと、
「もしものとき」に備えて考えたい方は、どうぞお気軽にお取り寄せください。
ご希望の方には、無料でお送りいたします。

▼資料請求・お問い合わせはこちらから
https://kuonji.net/inquiry/

久遠寺は、いつでもみなさまの思いに寄り添える場所でありたいと願っています。

住職のプライベート 2025.02.24

大阪マラソンへ

祖母の法事を終えて、急ぎ足で大阪へ。

人生初のフルマラソンに参加してきました。マラソン当日は、雪が舞う寒い日。ホッカイロを両手に握りながら走ることに。

あまりの寒さにトイレに行きたくなり、私だけでなく他のランナーも同じくか15分くらい長蛇の列に並ぶ羽目となりました。痛いタイムロスを余儀なくされましたが、今回の目標は走り切ることを念頭に置いていたこともあり、タイム自体はさほど気にすることなく、楽しく走ることができました。

マラソンを走るために、多くの時間をいただきましたが、良き経験でしたし、何より達成感に満たされました。

身体は疲れでいっぱいですが、法務へのエネルギーは充電完了。
また明日から頑張りたいと思います。

お寺の日々 2025.02.23

第十八世坊守の十七回忌法要を勤めました。

祖母の法事が勤めることができました。

父母(第十九世住職夫婦)もできる範囲でいろいろな手配や気遣いをしてくれ、滞りなく勤めることができたのが何より感謝です。

今夏に祖父の23回忌も控えていますが、その次の年回忌がきたら段取りを担うのは紛れもなく私と自覚しています。

ご法事への気持ちも年々変化を感じるところで、いかに法事=法の事として捉えれるか、さらには法要=法の要とは何かを私自身法事を通して気づき伝えていかねばならぬ時と再確認しました。

今までの感謝とともに先々の示唆をいただけた祖母の法事に感謝です。

おかげさまですね。

写真は、祖母の帯から作ったと聞いている角掛です。大切な帯を仕立ててまで、寺の荘厳を尊ぶ気持ちを忘れず仕えてくださったのだと、襟を正す気持ちで毎度準備しています。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.02.15

春の始まり

久遠寺の境内の花々は、蝋梅から始まります。蝋梅が咲くと、寒かった冬がようやく終わり、春に向けて歩み出したなぁと感じるばかりです。

花言葉は、
慈しみ」
「ゆかしさ」
「先導」
「先見」
らしいです。感じていることは皆一緒ですね。

まだまだ寒い日が続きますが、永遠ではありません。いつかは春がやってきます。その日までしっかりと準備を整えてまいりましょう。

住職のプライベート 2025.02.11

愛犬・量がほとけさまの元へ旅立ちました

2月10日、いつも一緒にいた愛犬・量が17歳と半年の生涯を閉じ、静かに安らかに旅立ちました。

妻と結婚するお祝いに、父の友人からプレゼントされた愛犬。はしゃぎまくっていた若い時もありましたが、凛として品がある無駄に吠えない柴犬でした。散歩すら面倒なくらい忙しい時期もグッと我慢してその時を待つ愛犬。人間の気分に振り回せれながらも、いつも迎えてくれた愛犬。
話すことはできずとも、彼にとってはこれも良き生涯だったと思いたいです。

子どもたちが学校から戻ってから、ほとけさまの御前でお勤め。

「今までありがとうね、本当に君がいてくれて私の人生は嬉しい日々だった」と胸内に伝え、熱田の長楽寺さまでご供養をお願いしにいきました。

「量」の名は、ほとけさまの無量からいただきました。「はかりしれない」喜びをもたらしてくれる、「はかりしれない」幸せを共にあゆみたい、そんな想いで名付けた記憶です。その名の如く、喜びと幸せを家族に与えてくれたことに感謝の念がつきません。

生きとし生けるもの、必ず「死」に直面します。大切な人、ものをなくした時の衝動は人それぞれで、その人にとって、他の方にはわからないくらい計り知れないものです。

時間が経てば癒えるものでもない。でも、こんな気持ちにさせてもらえることこそ、心をいただく人としての存在理由かと思います。そこに改めて気づかせてくれた「量」本当に今までありがとう。

南無阿弥陀佛