平和公園久遠寺墓地に掲示板を設置しました

住職のプライベート 2025.02.24

大阪マラソンへ

祖母の法事を終えて、急ぎ足で大阪へ。

人生初のフルマラソンに参加してきました。マラソン当日は、雪が舞う寒い日。ホッカイロを両手に握りながら走ることに。

あまりの寒さにトイレに行きたくなり、私だけでなく他のランナーも同じくか15分くらい長蛇の列に並ぶ羽目となりました。痛いタイムロスを余儀なくされましたが、今回の目標は走り切ることを念頭に置いていたこともあり、タイム自体はさほど気にすることなく、楽しく走ることができました。

マラソンを走るために、多くの時間をいただきましたが、良き経験でしたし、何より達成感に満たされました。

身体は疲れでいっぱいですが、法務へのエネルギーは充電完了。
また明日から頑張りたいと思います。

お寺の日々 2025.02.23

第十八世坊守の十七回忌法要を勤めました。

祖母の法事が勤めることができました。

父母(第十九世住職夫婦)もできる範囲でいろいろな手配や気遣いをしてくれ、滞りなく勤めることができたのが何より感謝です。

今夏に祖父の23回忌も控えていますが、その次の年回忌がきたら段取りを担うのは紛れもなく私と自覚しています。

ご法事への気持ちも年々変化を感じるところで、いかに法事=法の事として捉えれるか、さらには法要=法の要とは何かを私自身法事を通して気づき伝えていかねばならぬ時と再確認しました。

今までの感謝とともに先々の示唆をいただけた祖母の法事に感謝です。

おかげさまですね。

写真は、祖母の帯から作ったと聞いている角掛です。大切な帯を仕立ててまで、寺の荘厳を尊ぶ気持ちを忘れず仕えてくださったのだと、襟を正す気持ちで毎度準備しています。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.02.15

春の始まり

久遠寺の境内の花々は、蝋梅から始まります。蝋梅が咲くと、寒かった冬がようやく終わり、春に向けて歩み出したなぁと感じるばかりです。

花言葉は、
慈しみ」
「ゆかしさ」
「先導」
「先見」
らしいです。感じていることは皆一緒ですね。

まだまだ寒い日が続きますが、永遠ではありません。いつかは春がやってきます。その日までしっかりと準備を整えてまいりましょう。

住職のプライベート 2025.02.11

愛犬・量がほとけさまの元へ旅立ちました

2月10日、いつも一緒にいた愛犬・量が17歳と半年の生涯を閉じ、静かに安らかに旅立ちました。

妻と結婚するお祝いに、父の友人からプレゼントされた愛犬。はしゃぎまくっていた若い時もありましたが、凛として品がある無駄に吠えない柴犬でした。散歩すら面倒なくらい忙しい時期もグッと我慢してその時を待つ愛犬。人間の気分に振り回せれながらも、いつも迎えてくれた愛犬。
話すことはできずとも、彼にとってはこれも良き生涯だったと思いたいです。

子どもたちが学校から戻ってから、ほとけさまの御前でお勤め。

「今までありがとうね、本当に君がいてくれて私の人生は嬉しい日々だった」と胸内に伝え、熱田の長楽寺さまでご供養をお願いしにいきました。

「量」の名は、ほとけさまの無量からいただきました。「はかりしれない」喜びをもたらしてくれる、「はかりしれない」幸せを共にあゆみたい、そんな想いで名付けた記憶です。その名の如く、喜びと幸せを家族に与えてくれたことに感謝の念がつきません。

生きとし生けるもの、必ず「死」に直面します。大切な人、ものをなくした時の衝動は人それぞれで、その人にとって、他の方にはわからないくらい計り知れないものです。

時間が経てば癒えるものでもない。でも、こんな気持ちにさせてもらえることこそ、心をいただく人としての存在理由かと思います。そこに改めて気づかせてくれた「量」本当に今までありがとう。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.02.02

2月の伝道掲示板

「大変と思えば何でも大変。大したことじゃないと思えば大したことじゃない」土屋アンナ

その通りですね。でも思ってもなかなかできないのも百も承知。大変が起こる時は、いつも「苦」と隣り合わせ。

あの人と一緒にいたくない

頭では理解できるのに身体がついていかない

思い通りに物事がうまくいかない

いろいろな大変は大変に決まっているけれども、その大変を明らかにすること、つまり諦めることが大切。

あの人と一緒にいたくない→いなければいい、意識しなければいい

頭では理解しているけど身体がついていかない→自分が動ける範囲で動けばいい

思い通りに物事がうまくいかない→思い通りになると思わなければいい

そんな簡単にいっても、、、、はもちろんですが、ここが鍛錬のしどころ。

大したことじゃないと思いながら、日々過ごすことができればストレス軽減、負荷なく過ごせるはず。

わたしもゆっくり過ごしたお正月気分をなるべく間延びさせながら過ごしています。何かに追われる毎日より、追われる前に「これなら大丈夫、心配ない」と思えるよう余裕を持って過ごしています。

要は考えようですかね。ゆったり身構えましょう笑。

南無阿弥陀佛

お知らせ 2025.01.07

桂竹千代 落語会を開催します

古代史落語家の桂竹千代がお寺にやってきます!
古代史落語1席、他2席を予定。

新年早々、笑いで年明けしてみませんか?


予約は不要です。当日そのままお寺にご来寺くださいね。
心よりお待ちしております。

お寺の日々 2025.01.04

1月の掲示板伝道

【迷わずいけよ、行けばわかるさ】アントニオ猪木

新年明けましておめでとうございます。
今年初めての掲示板はアントニオ猪木さんの有名な言葉「道」からいただきました。仏教的にいただくならどうなるをテーマに今年も掲示板伝道を継続していきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。

この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。

人生という道を歩んでいる、どの状況の方にも当てはまる言葉ですね。これからという未来を見据えた時、背中を押してくれる言葉ではないでしょうか。

仏教には「二河白道」の譬えという教えがあります。

人の世に生きるからこそ抱える怒りや憎み、欲望、異論などが私に付き纏い襲ってくる中で、東岸の釈迦に「信じて行け!」、進むべき西岸の弥陀に「大丈夫だ、こちらへ来い!」と聞き、わずか15cmほどの道をひたすら進みます。

お念仏の道も「迷わずいけよ、行けばわかるさ」とほとけさまが願いはからい、お念仏をわたしたちの元へ届けてくれました。

ほとけさまはわたしたちのことをよく理解してくださっている。けれども、わたしたちはなぜ届いたのかわからない。でも大丈夫だ、心配するな、信じて進め、と願う仏さまの願いだけは知っている。

願いを知り、お任せします、といただくお念仏申し上げる日を、今年も過ごしてまいりましょう。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.12.10

バケツ置き場を設置しました

平和公園久遠寺墓地にバケツ置き場を設置しました。

今まで休憩所である小屋の座面で片付けておりましたが、

小屋はお参りの時の休憩所としたい。
お参りしやすい環境を整えたい。

との思いから設置することとなりました。
おかげさまで小屋の中もスッキリ。


スッキリすると、心もなんだか整理されます。
皆様もお参りした際、いろんな抱えごとが手を合わせることでスッキリしたらな、と願っております。

お墓のことでお困りの際は、住職またはいつもお世話になっている光徳石材店さんにご相談くださいね。