お知らせ

お寺の日々 2025.07.03

7月の伝道掲示板

「俺の敵はだいたい俺です」

宇宙兄弟という漫画の一言です。


「あぁ。本当のことを言われたわ」と心に突き刺さりました。


自分の中には、思い通りにしたいという欲、手放せない執着、だからこそ思い通りにならないことへの怒りが激っています。おそらく笑。

でも、そうは思いたくないから自分以外のせいにしようと原因を外に探している自分がいます。そうじゃないとわかっているのに、本当のことを見つめず、内にこそ原因があるのに、、、目を背けています。

この根っこにあるのは、他人のせいではなく、自分のせいと認めたくない煩悩に囚われてしまった私自身です。本当の敵とは、自分を見誤らせ、迷わせ、他人を責めさせる「自分の心の在り方」なのかもしれませんね。

だから仏さまは、「自分の心を整えよ」と叱ってくださるのかもしれません。

(叱ってくださるかはわかりません笑)

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2025.06.28

松山へ、日帰りのご縁

先日、おてらおやつクラブの活動についてお話しする機会をいただき、愛媛・松山まで行ってまいりました。

日帰り、しかも直行直帰という慌ただしい旅ではありましたが、心に残る一日となりました。

今回の講演は、曹洞宗四国管区研修センターの主催によるもので、100分の予定を超えて約120分の長丁場。

にもかかわらず、最後まで熱心に耳を傾けていただき、活発なご質問も多数寄せられました。

「おすそわけ」の背景にある思い、現場で感じるひとり親家庭の声、そしてお寺が果たす役割について、改めて多くの気づきを共有できたように感じます。

講演後は、あまり時間もなかったため、松山空港で小さなごほうびを。

蛇口から出る名物「みかんジュース」と、愛媛ならではの「鯛めし」をいただきました。

土地の味を楽しむことで、気持ちも少しリフレッシュ。

いつもとは違う空気に触れることで、新たな視点や活力をいただけることを実感します。

直行直帰とはいえ、お寺を離れることを快く許してくれる前住職や寺族の理解と支えには、心より感謝しています。

こうしたご縁をいただけるのも、日々の支えがあってこそ。

いただいた学びを胸に、これからの法務にもいっそう励んでまいります。

お寺の日々 2025.06.25

蓮の花が咲きました

久遠寺の境内に、今年も蓮の花が咲いてくれました。

実は昨年は、カラスのいたずらや天候の影響もあり、ほとんどの蓮鉢が咲かずに終わってしまいました。楽しみにしていた皆さまには、残念なお知らせとなってしまったことを今も覚えています。

だからこそ、今年の開花には、例年以上のよろこびを感じています。小さな蕾がふくらみ、朝の光を浴びて凛と咲く姿を見つけたときは、思わず足を止めて見入ってしまいました。

蓮は、泥の中から立ち上がり、美しい花を咲かせます。仏教では、「煩悩の世界にありながらも、清らかに生きる姿」の象徴、仏様を表す花です。その姿は、日々の暮らしの中で迷いや悩みに揺れる私たちに、そっと語りかけてくれるようです。

どうかご参拝の際は、境内の蓮にも目を向けてみてください。季節の移ろいとともに、心にやさしい風が吹くひとときとなれば嬉しく思います。

お寺の日々 2025.06.03

6月の伝道掲示板

「形は心をつくり、心は形を育てる」

今月掲示したこの言葉は、次男の中学校の入学式で、校長先生が新入生たちに贈られたものでした。

この言葉を聞いて、ふと「形即心(けいそくしん)」という禅の教えを思い出しました。
「形即心」とは、姿や行動、所作のひとつひとつに心があらわれるという意味です。つまり、形と心はひとつに結びついているという考えです。

校長先生のお話は、「まず形を整えなさい。すると、そこにふさわしい心が自然と育っていく」というものでした。
これは「形即心」と似ているようで、少し違うアプローチかもしれません。形が先にあって、それに心が追いつき、やがて形をまた育ててくれる。そんな循環を感じました。

私自身、僧侶になりたての25年前は、「僧侶の姿をする」ことしかできませんでした。中身はともなっていなかったと思います。でも、衣を身にまとい、お勤めを重ね、自分に問いかけながら過ごすうちに、「こうありたい」と思う心が少しずつ育ってきたように感じます。

最近では、「衣を着ているから僧侶」ではなく、「衣を着ていなくても僧侶」という自覚が、ようやく自分の中に根づいてきた気がしています。そう考えると、やはり「形は心をつくり、心は形を育てる」という言葉には深い真実があるように思うのです。

みなさんはいかがでしょうか?
「まずは形から入る」とよく言いますが、そこにもきっと意味があるのだと思います。みなさんのご経験も、ぜひお会いした時に聞かせてくださいね。

お寺の日々 2025.05.14

平和公園久遠寺墓地に掲示板を設置しました

お参りのひとときに、久遠寺からのお知らせしたく。

平和公園の久遠寺墓地の目につくところに、掲示板を設置いたしました。

お墓参りに来られる皆さまに、久遠寺からのお知らせや、日ごろなかなかお伝えしきれないことを少しずつ掲示していきたいと思っています。

ご供養にまつわる情報や、お墓について、行事のご案内、など……
ふと立ち止まったときに、寺を身近に感じていただけるような掲示板にしていけたらと願っています。

お参りの際には、どうぞ気軽にのぞいてみてくださいね。

お寺の日々 2025.05.12

今年の蓮

昨年は、境内の蓮の新芽がすべてカラスにいたずらされてしまい、ほとんど咲くこともなく、とても残念な思いをしました。
今年こそはと、いろいろと対策を試みています。

今回は、檀家さんから「カラスは羽を広げられないような場所を嫌う」と教えていただき、鉢のまわりに棒を立ててみました。
羽が広げにくければ、近寄りにくくなるかもしれません。

これでうまく防げたら嬉しいのですが……どうか芽が無事に育ってくれますように。
そっと見守っていきたいと思います。

お寺の日々 2025.05.10

境内は春爛漫part3──よりどりみどりの花の季節です

春の境内は、日に日に表情を変えながら、まだまだ花の季節を楽しませてくれています。

気がつけば、桜の花びらはすっかり散り、青々とした若葉が枝を覆いはじめました。
季節は少しずつ、春の後半へと歩みを進めています。

境内のあちらこちらでは、ツツジが元気に咲いています。
赤や白が賑やかに混ざり合ってなんともにぎわしい景色が広がります。

そんな中、少し奥まった場所で、ひっそりと咲く花があります。
それが、もっこうばら。明るい黄色の小さな花が、房になって咲いています。
あまり人の目に触れない場所にあるため、見つけた時はまるで宝物を見つけたような気持ちになるかもしれません。なんでも10年前に購入して初めて咲いたとのこと。嬉しい限りですね。
境内の“花さがし”のひとつとして、楽しんでいただけたら嬉しいです。

庫裡玄関の足元には、すずらんの白い花も顔を出し、小さな鈴のようにそっと揺れています。

おがたまの木には、ほのかな甘い香りをまとった花が。境内には2本植えてありますので、この時期は「バナナ臭」に見舞われます笑。

そして、梅の実ややまぼうしの蕾もふくらみはじめ、初夏の訪れを静かに知らせてくれています。

久遠寺の春は、まだまだ続きそうです。
ひとつひとつの花と出会いながら、季節のめぐりを感じていただけたらと思います。

お寺の日々 2025.05.08

5月の伝道掲示板

「幸せとは形じゃない、幸せとは気分だと思っている」萩本欽一

幸せって何でしょうか。それぞれに感じている「幸せ」があるかと思います。

・何かで満たされること

・誰かとつながっていること

・自分の目的や役割を達成すること

などが挙げられるかと思います。形も一つの幸せの形、気分も一つの幸せの形とも考えれるかと思います。いずれにしても、諸行無常・諸法無我であることは変わりありません。形も心も不安定なものです。

そういった気分や形であることに気づくこと。

そして、仏教では「知足」=「足るを知る」ということが説かれます。

いつかは崩れ去る何かを求め続けるのではなく、今私の元あることを気づいていないことに気づくことが、幸せの第一歩なのではないでしょうか。

まずは、みなさまの足元にあるみえていない「当たり前」に目を向けてみてください。いろいろな「幸せ」が発見できるに違いありません。

南無阿弥陀佛