お寺の日々
2024.07.01
7月の掲示板
【7月の掲示板】
「適当〜辞書で調べると適材適所という意味なんだよ〜」
高田純次
テキトー男で有名な高田純次さんの言葉。
テキトーでいい加減、でもユーモアたっぷりな高田さん。でも、テキトーと適当の違いを辞書で明示してくれています。テキトーとは適当であり、適材適所である、ということ。
テキトーに見えながら、実は適当(適材適所)であり、細やかに目を配らせ対応しつつも、テキトーに魅せていることが魅力なのではないでしょうか。
適材適所。
その時必要な人材と最大限能力が発揮できる場を当てていくこと。
わたしもお寺に生まれ、新栄で育ち、末法の世を生きる一人の人間です。
他者には気軽に対話ができるよう脱力しながら場を整えつつ、適材適所な人材として私以外の方と対話し、安心できる場と力を身につけていきたいと思っています。
テキトーに魅せながら適当で🙏
お寺の日々
2024.06.10
建碑式並びに納骨法要を併修
6月2日に久遠寺永代供養墓の建碑式並びに納骨法要を併修いたしました。
供養の形が多様化する中で、従来の墓ではなく境内納骨「あかり御堂」を選択される方もみえれば、永代供養墓を選択される方もおみえです。
久遠寺では、檀信徒のみなさまを始め、社会の様々な方が安心できるご供養の形を選択できるよう整えました。
今回の永代供養墓は、久遠寺のロゴに似せて制作いたしました。
「すみません、ありがとう、おかげさま」で円(縁)を成しながら、手をあわせた先に安心がある、笑顔になれる、そんな想いを込めています。
今回は、境内納骨あかり御堂で納骨された方々の余骨をお納めました。光徳石材のご協力のもと、ひとつひとつサラシに包みながら、一つ一つ丁寧にお入れいたしました。
これからのお墓や供養に悩まれましたら、一度住職までご相談くださいませ。
あなたさまの状況をお聞きしながら、最適なご供養をご提案させていただきます。
※永代供養墓の名称はただいま検討中です。決まり次第またご報告いたします。
お寺の日々
2024.06.01
6月の掲示板
【人生に失敗など存在しない】西野亮廣
誰しも「失敗」はしたことがあると思います。
どのような失敗でしたか?
相手の期待に添えることができなかった、自分の思った通りに行かなかった、等失敗にもいろいろあるかと思います。
しかし、思い返せばその「失敗」があったからこそ、今のわたしがいるのではないでしょうか。
その時、不快な気持ちとなった「失敗」だけれども「今」はどうですか?
忘れているくらいかも知れません。でもその時は、「失敗」に執着して他のことに手をつけれなかったくらいかも。
でもきっと、その「失敗」はアナタの成長のタネだったと思うです。
そんなことはない、失敗しちゃいけない状況もあったかもしれません。でも時間が経てば忘れるくらいのこと、それもこれも捉え方や受け取り方次第。
経験になった、次のステップアップだ、と視点を変えて、気持ちを切り替えてみませんか?
そんな私もいつでも「失敗」はしたくない。逃げずになんとかなる、と立ち向かおうと思います。
南無阿弥陀佛
お寺の日々
2024.05.06
ご紹介いただきました
例年ご法縁を賜る四日市の蓮光寺さまがHPを開設され、行事報告の際、ご紹介をいただきました。
https://fushozan-renkoji.com/03/402/
法話のフィードバックはなかなかいただけることがなく、こうして頂戴できることに心より感謝いたします。また、蓮光寺ご住職はいつもわたしのようなものの話を真摯に受け止めてくださいます。その姿勢こそ檀信徒さまに伝わり、HP上で「ともに」といわれる所以と感じました。
当寺住職がこんな感じで法務を勤めているんだなぁと知っていただければ幸いです。
お寺の日々
2024.05.01
5月の掲示板
「自分の機嫌は自分でとる」みやぞん
お笑い芸人の名言で毎月、掲示板伝道を続けています。
仏教法語はもちろん大切ですが、掲示板伝道において興味を持ってもらうこと、身近に感じることも大事だな、と思っています。あえて面白いことを常日頃から伝えてくれる身近なお笑い芸人の生き方を、住職なりに仏教の考え方に置き換えるチャレンジ中です。なんとかお付き合いくださいね。
今回は、いつもにこやかで明るい芸風なみやぞんの名言。
「自分の機嫌は自分でとる」
みなさんは、自分の機嫌どうしていますか?
そもそも、機嫌が悪くなる時、あのせいだ、あの人のせいだ、と自分以外が原因と考えていませんか?だからこそ、自分の機嫌は自分で直そうなんて露すら思っていないかもしれません。
でもよく考えてみれば、あのせいだ、あの人のせいだ、と理由をつけているのは言いたくないけど自分のせいも少しばかりはあるはずですよね。
自分が、自分の分別で、自分を守るために判断したのが、自分以外のせいという答え。そこに執着し、他は見ないようにしていないでしょうか。
仏教はもともと因果応報、善因善果、悪因悪果など結果には原因があり、良いことをすれば良い結果があり、悪いことをすれば悪い結果があるとの、ご縁のつながりを説いています。
自分が原因ならば、自分が応じ報いなければなりません。自分が機嫌を悪くしていたら、自分も気分が悪いし、周りの他者も居心地良くありません。反対に、自分が原因ということを明らかにすることで、自分で転じて機嫌良く笑顔でいることができたら、それは自分も幸せになり、他者もきっと幸せになるのではないでしょうか。
あのせい、あの人のせい、にする前に自分を省みてみませんか。
わたしの心内で省みて、転じてみましょう。
南無阿弥陀佛
お寺の日々
2024.04.04
4月の掲示板
「君たちがいて、僕がいる」チャーリー浜
先月は志村けんさんのご命日月でしたが、今月もたまたまですがチャーリー浜さんのご命日月。2021年4月にご往生されているので3回忌となります。南無阿弥陀佛
みなさん、チャリー浜さんってご存知ですか?10代、20代の方はは存じ上げないかもしれません。テレビで吉本新喜劇をみかければ
「〜〜じゃあ〜りませんか」
「ごめんくさい」
など、笑いを誘ってくれた芸人さんのおひとり、チャーリー浜さん。
一度検索してみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=q9gxultiH1Y
そんなチャリー浜さんの数あるギャグのひとつ。
「君たちがいて僕がいる」
間もよく当たり前のことも笑いにしてくれ、つられて笑っていた記憶が蘇ります笑。でも、ちょっと考えるととっても大切なおことばでもありました。
今、私たちは知らぬ間に、
わたしが、
わたしが、
とわがまま、思うがままにしようとしている我が身の瞬間を少なからず感じることあるかと思います。まさに
「僕がいるから、君たちがいる」状態。
けれども、チャリー浜さんのネタである
「君たちがいて僕がいる」
というおことばこそ、まわりのおかげや支えこそ我が身の存在を再確認させてくださる大切な、身近なおことばではないでしょうか。
そもそもほとけさまの願いだって、五劫の間生きとし生けるもの全てを救う、と誓われ成就したもの。わたしたちがいて、わたしがいて発願されている。
これも言い換えれば、
君たち(凡夫)がいて、僕(ほとけさま)がいる
ほとけさまとつながっている。みえないおかげから身近な支えがある。笑いながらでも、おかげさまに対して感謝の気づきをいただきましょう。
南無阿弥陀佛
お知らせ
2024.03.29
LivEQuality HUBの団体紹介動画に出演させていただきました。
近隣の寺院として、おてらおやつクラブのおすそわけ先であるLivEQuality HUBの団体紹介動画に出演させていただきました。
久遠寺はLivEQuality HUBのオフィスが近いこともあり、こどもえんにちや流しそうめんなどイベントを通して子どもたちが楽しく過ごせて、お母さんたちがホッとする場作りをしています。また住職自身は、認定NPO法人LivEQuality HUBの理事として関わっています。
動画には、LivEQuality HUBを支える方々のコメントが盛りだくさんです。ぜひご覧くださいませ。
ご出演・コメント提供(※動画内でのご出演順)
- LivEQuality物件の居住者さん
- ココカラウィメンズクリニック院長 伊藤加奈子先生
- 久遠寺住職・認定NPO法人おてらおやつクラブ理事 髙山信雄さん
- 面会交流サポート 一般社団法人 Families Change(ふぁみちぇん) 今枝朱美さん
- 一般社団法人世界アーチング協会 桜輝さらさん
- 弁護士法人ハレ 名古屋市所代表 森上未紗先生
https://www.youtube.com/watch?v=kTSPdVqhioQ#video_1
お寺の日々
2024.03.04
3月の掲示板
「だいじょぶだぁ」志村けん
4年前の2020年3月29日は、志村けんさんのご命日です。
もうそんなに経ったのだ、と当時を振り返ってもいまだに衝撃だったことを思い出しました。子どもの頃から家族団欒の中心にあった「志村けん」。いろいろなコントがありましたね。
そのひとつが「だいじょぶだぁ」
なんとも間の抜けたタイミングで発せられるこの言葉。でも「だいじょぶだぁ」と聞こえた瞬間、なぜか笑いが起こり、なんだかほっとした、そんな感覚が蘇ります。
私たちも普段生活する中で、
「大丈夫だよ」
と一言声をかけられる、かけるだけで一度安心につながる言葉のひとつです。
大丈夫とは、現代ではきわめて丈夫であるさま、あぶなげのないさま等で使われる言葉です。しかし古来では「身の丈一丈、学識人徳の備わった人中の最勝者を、漢語で「丈夫」とほめ讃えたそうで、仏法伝来するに及んで、「大」を付され「大丈夫」は仏さまの異名となったそう。
ほとけさまの「我にまかせよ」との呼び声、また私たちを「必ず救う」と憑まれた願いは、一度「大丈夫」とのことばとなり、わたしたちの身近で見守ってくださっています。目には見えないけれども、長い時間を経て、わたしに行き着いたさまざまな仏様の願いのひとつを知るご縁。
大切にしながら手を合わせ、また「だいじょぶだぁ」を伝えてくださった志村けんさんに感謝ですね。