お知らせ

お寺の日々 2024.03.04

3月の掲示板

「だいじょぶだぁ」志村けん

4年前の2020年3月29日は、志村けんさんのご命日です。

もうそんなに経ったのだ、と当時を振り返ってもいまだに衝撃だったことを思い出しました。子どもの頃から家族団欒の中心にあった「志村けん」。いろいろなコントがありましたね。

そのひとつが「だいじょぶだぁ」

なんとも間の抜けたタイミングで発せられるこの言葉。でも「だいじょぶだぁ」と聞こえた瞬間、なぜか笑いが起こり、なんだかほっとした、そんな感覚が蘇ります。

私たちも普段生活する中で、

「大丈夫だよ」

と一言声をかけられる、かけるだけで一度安心につながる言葉のひとつです。

大丈夫とは、現代ではきわめて丈夫であるさま、あぶなげのないさま等で使われる言葉です。しかし古来では「身の丈一丈、学識人徳の備わった人中の最勝者を、漢語で「丈夫」とほめ讃えたそうで、仏法伝来するに及んで、「大」を付され「大丈夫」は仏さまの異名となったそう。

ほとけさまの「我にまかせよ」との呼び声、また私たちを「必ず救う」と憑まれた願いは、一度「大丈夫」とのことばとなり、わたしたちの身近で見守ってくださっています。目には見えないけれども、長い時間を経て、わたしに行き着いたさまざまな仏様の願いのひとつを知るご縁。

大切にしながら手を合わせ、また「だいじょぶだぁ」を伝えてくださった志村けんさんに感謝ですね。

お寺の日々 2024.02.03

2月の掲示板

2月の掲示板

「敵は己の中にあり」

割と有名な言葉で似たようなニュアンスの言葉を聞いたことがある方もみえるかもしれません、もしかしたら座右の銘にされている方も。

人生自分が願うほど上手くいかないことばかり、はっきり言って思い通りになりません。その原因を、あの会社のせいだ、あの人のせいだと自分以外に原因を求めもがいて最中だと思います。

しかし、どうにもならない、うまくいかない、と思いつつも、いつの間にか忘れてしまくらい解決していることもあるのではないでしょうか。

なぜ解決したのか。
誰かが手を差し伸べてくださったかも。
自分の中で解決方法を探し出したかも。

解決にはいろいろな糸口がありますが、どれも原因こそ、自分の中にあるのではと疑ってみましょう。

自分が頑なに他人に頼ろうとしなかったか
自分が凝り固まった考え方をやめた途端道が開けたのでは

どれも自分が原因。

仏教ではそれを煩悩と呼びます。

煩悩は、私の体や心を悩ませ、掻き乱し、煩わせ、惑わし、汚します。思い通りにしたいがために、無理な理想を掲げ、自分のためと思ったことで自分を惑わしてしまう作用です。そういった敵=煩悩が常に私の中に住んでいる、まずそれを知らねばなりません。知ったけれども、いつまでも巣食う敵がいます。その敵はいつでも顔をだしてくるけれども、常日頃生活しているだけではなかなか気づきにくいことでもあります。

仏様と向き合い手を合わせお念佛をお称えする。

お念佛を通して初めて仏様や亡き大切な方々、自分自身と向き合うことで照らされる私の心があります。

知った上で、諦らかにする。

諦めるのではなく、明らかにすること。

私の心はこういった心である、いつでも煩悩と一緒である、と明らかにした上でわたし自身と付き合っていくこと。

それが敵=煩悩と付き合う一つと思います。

お寺の日々 2023.11.23

こどもえんにちを開催しました

昨年に引き続き、11月3日文化の日に久遠寺で「こどもえんにち」を開催しました!

子どもたちが思いっきり遊ぶ!!


をテーマに、そしてお母さんたちには少しでもリラックスしてもらえる空間づくりをしました。
当日は、子どもたちと親御さん120〜30名を40名を超えるボランティアさん、かず多くのブース出展関係者のみなさまでお迎え。

秋晴れの心地よい日でもあり短い時間でしたが、子どもたちにとってきっと良き時間を過ごしてもらえたのではないかと思います。詳細はシェア元からご覧くださいね。

https://livequality.co.jp/hub/about/news/231115?fbclid=IwAR1dPL5kfDwBaOi55BLfZVXTtJy1xrhrhRu8O0UCZ7hnv2jrnC1bbhP2vCg

お寺の日々 2021.10.19

報恩講が勤まりました

10月16日土曜日、年に一度の報恩講をお勤めしました。

毎年恒例の雨予報を掻い潜りながら今回も無事雨が降らずでお迎えできました。
それにしても蒸し暑かった、、、、

今回の報恩講はいろいろ気づきがあった気がします。
今までは当日なんとか迎えれたら、多くのお参りがあれば、との思いで
準備もしてきました。

今年はなぜか、準備から報恩講という感覚になり、掃除や準備から一つ一つが
「恩」を感じながら(なぜなら伽藍ひとつ私のはたらきではなんともできない、
掃除一つできていない私、そんな私に恩が何も言わずに降りかかっている)
法要、片付けまで勤めることができました。

準備する中で、住職夫婦も徐々に体も衰えながらも一生懸命準備をしてくれる。
もういいのに、と息子ながらに思っても時間を見つけてはできる範囲でやれることを勤めていました。
こういった姿も住職夫婦が感じる「恩」によって突き動かされているのかもしてません。

私だけの話。

報恩講の準備をすると(説教の勉強の時もそう)、先代との対話も始まります。

「のぶっ!こっちきて手伝え!」

「のぶっ!これはこうした方がええ。」

「のぶっ!ようやったな!」

ほんとかどうか、耳に聞こえてくる喚び声があります。
ほとけさまもきっと喚びかけてくださっているんだろな、とも。

人間は忘れるのも仕事。
でもなんとかこの気持ちを忘れず、また一年過ごしてまいります。

お参りくださった方、
気にしてくださった方、
そんなに気にならない方、

みんなほとけさまの目当てであることは変わりありません。
ごたいげさまでした。

岡崎・浄泉寺住職 戸田恵信師のご法話。檀信徒の皆さまが口を揃えて「ご聴聞が楽しい、感動した」と帰られました。ありがたい限りです。

お寺の日々 2021.01.10

手を合わせ、心を寄せる

1月10日は久遠寺にとってはお墓参りの日。

寒かろうと、コロナだろうと心の中ではブツブツいいながら笑、拒否する身体に抗うように、なむあみだブツと手を合わせて参りました。

8時半過ぎに平和公園@久遠寺に到着するやいなや、お檀家さまからご連絡「都合でお参りに行けんくて、今日お参りしてきたけど水道管、、、、凍ってたよ、、、」とあり、お湯を大量に準備しましたが、、、、長すぎる水道管にあえなく撃沈。

結局、階段下にある水道は凍ってないようなので階段54段をとりあえず4往復して水ゲット。

(両手に水一杯のバケツはなかなかしんどいwでも手伝ってくれるお檀家さんや孫さんがみえて体は寒いが心はポカポカになりました)

それから我が子どもたちに、「夕方からならとうちゃん遊べるぜぃ」の下心満載な大人の約束を交わし何度も汲みに行ってもらい、水ゲット。(ちゃんと遊びましたけどね)

11時半には水道管の氷も解けましたが、12時には墓参出張終わりなのでなんだかね、、、て感じですが、こんな寒い中、こんなコロナの中お参りに来てくださることに心より感謝!!たとえ今日ではなくても年末年始にお参りに来られている皆様に感謝です。

お正月の墓参は、春夏秋に比べるとお人数も少なめなのでおしゃべりができるのもまたgood。

皆さまの近況や心境を聞かせていただきました。

心を寄せて、手を合わせてるっていいね。

そして、やっぱり顔を合わせるっていいね。

いろいろと気難しい社会状況になってきましたが、久遠寺なりの在り方で皆様と伴走させてくださいませ。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2020.10.23

令和二年度報恩講を勤修しました

10月17日土曜日、令和二年度の報恩講を無事お勤めいたしました。


当日はとても寒い日。
さらに、朝から雨まで降っていました。

コロナ禍の中、さらにこんな日にお参りにみえるだろうか、、、、

お勤めをちゃんとしっかり勤める。
住職とそう決めた2ヶ月前の気持ちが揺らぎます。

雨はやむことはなく、始経15分前でも用意した席は半分以上空いている状態でした。
「やっぱり今年はお参りにきていただくことは厳しいんだなぁ、、、」
と心内でしょげてしまいそうになった5分前。

そんな気持ちをもってしまったことが申し訳ないくらいに、
用意したお椅子が足らないほど、多くの檀信徒の皆様がご来寺くださいました。


ありがたい

うれしい

よくぞ、このような日に。

報恩講は、「恩」に報いる講です。
ほとけさまからいただいているご恩
親鸞聖人からいただいるご恩
自分のいのちをつないでくれた亡き大切な方々からいただいたご恩

それぞれのご恩を
「知」り、「感」謝し、「報」いる。

一切を救うと約束してくださったほとけさまと
その教えをお念佛を通して伝えてくださった親鸞聖人。
そして、我が身を通して「南無阿弥陀佛」と手を合わせることを
教えてくれた大切な方々。

お勤めをする中で、皆一人一人が手を合わせ、心を合わせることができました。



断念せざるをえなかったこと、そしてチャレンジもありました。

お非時の中止、法話の中止。

副住職の式文拝読、子どもたちと一緒にお勤め。

いつもと違う状況ではありました報恩感謝をひとしお感じれた気がします。

ありがたい限りです。

終わってみれば幻の如く時間が駆け抜けて行った報恩講さん笑
今日はもう金曜日です(10/23現在)

片付けも終わり、一息ついたら少し疲れがでたのか、昨日はずっと寝てしまいました(笑)

コロナ禍の中、報恩講を無事勤めることができたのもご恩であり、おかげさま。

あとは毎日を、丁寧に、大切に、過ごして参りたいと思います。

皆様もご一緒くださいませ。



〜追記〜
今回、コロナ禍ということで動画撮影をしてみました。何事もチャレンジです笑。
やっぱりと申しますか、準備不足もあり、うまく撮影できませんでした。申し訳ありません。

しかしながら、少しでも雰囲気がお伝えできればと思い掲載いたしますね。
是非お参りにきたようなお気持ちで参拝、拝見してくだされば幸いです。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2020.07.01

寺報69号をお届けします

四半期に一度お配りしている寺報が出来上がりました。

郵送のお檀家さまには着々と届いている様子です。
お月参りのあるお檀家さまには直接住職か副住職がお渡ししますね。
もうしばらくお待ちください。

寺報の役割としてお寺の日常やお念佛のみ教えを伝えることはもちろんですが、
3か月に一度何が起こったのか振り返るチャンスともなっています。
3ヶ月前を思い起こせば、ちょうどコロナウイルス感染拡大の直前でした。
もしお届けするのが一週間後にずれていたら、
寺報の内容や同封する資料も違うものになっていたに違いありません。

けれども、そのタイミングタイミングがご縁であり、
私たちのはからいではどうすることもできず、ただ受けていくのみ。


「良いも悪いもみなご縁」


とあるように、ご縁のせいにするのではなく我が身を振り返りたいものです。

今回、いつかはお願いしたいと思っていた「メール通知案内のお願い」もA4で同封しております。
みなさまからのご返信を心よりお待ちしております!
すでにお檀家さまたちからご返信も賜っております。どうぞご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

QRコードの読み取りなど難しいですよね。でも頑張りましょう!
またご不明なところは、副住職にお尋ねくださいませ。

久遠寺寺報は檀信徒の皆様にお届けしております。
ご興味があられる方は、お問い合わせよりその旨お伝えくださいませ。



南無阿弥陀佛

お寺の日々 2020.06.30

高田本山から蓮をいただいてきてからかれこれ5〜6年になります。毎年植え替え、
いろいろ手法を変えながら今年は咲くかな、どうかなと楽しんでおります。

ぼんやり蓮を見ていてもよし。
また、蓮から何かを学ぶもよし。

蓮は、お浄土や仏さまの象徴。
そんな蓮の姿から、いろいろなお徳があり私たちに伝えてくださっています。


そのひとつに

泥中君子

というおことばがあります。


蓮は泥の中より生まれ出て、しかもその泥にも染まらず、清浄で無垢な美しい華を咲かせるところから、
汚れに染まらない=不染ということを説く教え、尊い人のようである、とお伝えしています。


また「入出二門偈」の一句に

「高原陸地不生蓮華」=「高原の陸地に蓮華は生まれない」

と、おことばがあり、高原の清流の中では蓮の花は咲かないことが伝えられるわけです。



そんなおことばを鏡のように私に照らしてみれば、、、、

仏様の教えはきれいな環境では通じることではなく、反対に今現在、悩み悲しみを抱え、
ドロドロとしたこの私たちが生きている世界の中だからこそはたらいてくださっています。
そして、その泥に染まることのない素晴らしい教え、つまり、悩みや悲しみを抱えた、
この私を目当てとした教えなのである、と言うことを蓮の姿からお教えいただけます。

でも、ただ見ていてもよし。
近くへ寄られましたら是非ご鑑賞くださいませ。


副住職拝