お知らせ

お寺の日々 2024.06.01

6月の掲示板

【人生に失敗など存在しない】西野亮廣



誰しも「失敗」はしたことがあると思います。

どのような失敗でしたか?
相手の期待に添えることができなかった、自分の思った通りに行かなかった、等失敗にもいろいろあるかと思います。

しかし、思い返せばその「失敗」があったからこそ、今のわたしがいるのではないでしょうか。

その時、不快な気持ちとなった「失敗」だけれども「今」はどうですか?

忘れているくらいかも知れません。でもその時は、「失敗」に執着して他のことに手をつけれなかったくらいかも。

でもきっと、その「失敗」はアナタの成長のタネだったと思うです。

そんなことはない、失敗しちゃいけない状況もあったかもしれません。でも時間が経てば忘れるくらいのこと、それもこれも捉え方や受け取り方次第。
経験になった、次のステップアップだ、と視点を変えて、気持ちを切り替えてみませんか?

そんな私もいつでも「失敗」はしたくない。逃げずになんとかなる、と立ち向かおうと思います。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.05.06

ご紹介いただきました

例年ご法縁を賜る四日市の蓮光寺さまがHPを開設され、行事報告の際、ご紹介をいただきました。

https://fushozan-renkoji.com/03/402/

法話のフィードバックはなかなかいただけることがなく、こうして頂戴できることに心より感謝いたします。また、蓮光寺ご住職はいつもわたしのようなものの話を真摯に受け止めてくださいます。その姿勢こそ檀信徒さまに伝わり、HP上で「ともに」といわれる所以と感じました。

当寺住職がこんな感じで法務を勤めているんだなぁと知っていただければ幸いです。

お寺の日々 2024.05.01

5月の掲示板

「自分の機嫌は自分でとる」みやぞん

お笑い芸人の名言で毎月、掲示板伝道を続けています。

仏教法語はもちろん大切ですが、掲示板伝道において興味を持ってもらうこと、身近に感じることも大事だな、と思っています。あえて面白いことを常日頃から伝えてくれる身近なお笑い芸人の生き方を、住職なりに仏教の考え方に置き換えるチャレンジ中です。なんとかお付き合いくださいね。

今回は、いつもにこやかで明るい芸風なみやぞんの名言。

「自分の機嫌は自分でとる」

みなさんは、自分の機嫌どうしていますか?

そもそも、機嫌が悪くなる時、あのせいだ、あの人のせいだ、と自分以外が原因と考えていませんか?だからこそ、自分の機嫌は自分で直そうなんて露すら思っていないかもしれません。

でもよく考えてみれば、あのせいだ、あの人のせいだ、と理由をつけているのは言いたくないけど自分のせいも少しばかりはあるはずですよね。

自分が、自分の分別で、自分を守るために判断したのが、自分以外のせいという答え。そこに執着し、他は見ないようにしていないでしょうか。

仏教はもともと因果応報、善因善果、悪因悪果など結果には原因があり、良いことをすれば良い結果があり、悪いことをすれば悪い結果があるとの、ご縁のつながりを説いています。

自分が原因ならば、自分が応じ報いなければなりません。自分が機嫌を悪くしていたら、自分も気分が悪いし、周りの他者も居心地良くありません。反対に、自分が原因ということを明らかにすることで、自分で転じて機嫌良く笑顔でいることができたら、それは自分も幸せになり、他者もきっと幸せになるのではないでしょうか。

あのせい、あの人のせい、にする前に自分を省みてみませんか。

わたしの心内で省みて、転じてみましょう。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.04.04

4月の掲示板

「君たちがいて、僕がいる」チャーリー浜

先月は志村けんさんのご命日月でしたが、今月もたまたまですがチャーリー浜さんのご命日月。2021年4月にご往生されているので3回忌となります。南無阿弥陀佛

みなさん、チャリー浜さんってご存知ですか?10代、20代の方はは存じ上げないかもしれません。テレビで吉本新喜劇をみかければ

「〜〜じゃあ〜りませんか」

「ごめんくさい」

など、笑いを誘ってくれた芸人さんのおひとり、チャーリー浜さん。
一度検索してみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=q9gxultiH1Y

そんなチャリー浜さんの数あるギャグのひとつ。

「君たちがいて僕がいる」

間もよく当たり前のことも笑いにしてくれ、つられて笑っていた記憶が蘇ります笑。でも、ちょっと考えるととっても大切なおことばでもありました。

今、私たちは知らぬ間に、

わたしが、

わたしが、

とわがまま、思うがままにしようとしている我が身の瞬間を少なからず感じることあるかと思います。まさに

「僕がいるから、君たちがいる」状態。

けれども、チャリー浜さんのネタである

「君たちがいて僕がいる」

というおことばこそ、まわりのおかげや支えこそ我が身の存在を再確認させてくださる大切な、身近なおことばではないでしょうか。

そもそもほとけさまの願いだって、五劫の間生きとし生けるもの全てを救う、と誓われ成就したもの。わたしたちがいて、わたしがいて発願されている。

これも言い換えれば、

君たち(凡夫)がいて、僕(ほとけさま)がいる

ほとけさまとつながっている。みえないおかげから身近な支えがある。笑いながらでも、おかげさまに対して感謝の気づきをいただきましょう。


南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.03.04

3月の掲示板

「だいじょぶだぁ」志村けん

4年前の2020年3月29日は、志村けんさんのご命日です。

もうそんなに経ったのだ、と当時を振り返ってもいまだに衝撃だったことを思い出しました。子どもの頃から家族団欒の中心にあった「志村けん」。いろいろなコントがありましたね。

そのひとつが「だいじょぶだぁ」

なんとも間の抜けたタイミングで発せられるこの言葉。でも「だいじょぶだぁ」と聞こえた瞬間、なぜか笑いが起こり、なんだかほっとした、そんな感覚が蘇ります。

私たちも普段生活する中で、

「大丈夫だよ」

と一言声をかけられる、かけるだけで一度安心につながる言葉のひとつです。

大丈夫とは、現代ではきわめて丈夫であるさま、あぶなげのないさま等で使われる言葉です。しかし古来では「身の丈一丈、学識人徳の備わった人中の最勝者を、漢語で「丈夫」とほめ讃えたそうで、仏法伝来するに及んで、「大」を付され「大丈夫」は仏さまの異名となったそう。

ほとけさまの「我にまかせよ」との呼び声、また私たちを「必ず救う」と憑まれた願いは、一度「大丈夫」とのことばとなり、わたしたちの身近で見守ってくださっています。目には見えないけれども、長い時間を経て、わたしに行き着いたさまざまな仏様の願いのひとつを知るご縁。

大切にしながら手を合わせ、また「だいじょぶだぁ」を伝えてくださった志村けんさんに感謝ですね。

お寺の日々 2024.02.03

2月の掲示板

2月の掲示板

「敵は己の中にあり」

割と有名な言葉で似たようなニュアンスの言葉を聞いたことがある方もみえるかもしれません、もしかしたら座右の銘にされている方も。

人生自分が願うほど上手くいかないことばかり、はっきり言って思い通りになりません。その原因を、あの会社のせいだ、あの人のせいだと自分以外に原因を求めもがいて最中だと思います。

しかし、どうにもならない、うまくいかない、と思いつつも、いつの間にか忘れてしまくらい解決していることもあるのではないでしょうか。

なぜ解決したのか。
誰かが手を差し伸べてくださったかも。
自分の中で解決方法を探し出したかも。

解決にはいろいろな糸口がありますが、どれも原因こそ、自分の中にあるのではと疑ってみましょう。

自分が頑なに他人に頼ろうとしなかったか
自分が凝り固まった考え方をやめた途端道が開けたのでは

どれも自分が原因。

仏教ではそれを煩悩と呼びます。

煩悩は、私の体や心を悩ませ、掻き乱し、煩わせ、惑わし、汚します。思い通りにしたいがために、無理な理想を掲げ、自分のためと思ったことで自分を惑わしてしまう作用です。そういった敵=煩悩が常に私の中に住んでいる、まずそれを知らねばなりません。知ったけれども、いつまでも巣食う敵がいます。その敵はいつでも顔をだしてくるけれども、常日頃生活しているだけではなかなか気づきにくいことでもあります。

仏様と向き合い手を合わせお念佛をお称えする。

お念佛を通して初めて仏様や亡き大切な方々、自分自身と向き合うことで照らされる私の心があります。

知った上で、諦らかにする。

諦めるのではなく、明らかにすること。

私の心はこういった心である、いつでも煩悩と一緒である、と明らかにした上でわたし自身と付き合っていくこと。

それが敵=煩悩と付き合う一つと思います。

お寺の日々 2023.11.23

こどもえんにちを開催しました

昨年に引き続き、11月3日文化の日に久遠寺で「こどもえんにち」を開催しました!

子どもたちが思いっきり遊ぶ!!


をテーマに、そしてお母さんたちには少しでもリラックスしてもらえる空間づくりをしました。
当日は、子どもたちと親御さん120〜30名を40名を超えるボランティアさん、かず多くのブース出展関係者のみなさまでお迎え。

秋晴れの心地よい日でもあり短い時間でしたが、子どもたちにとってきっと良き時間を過ごしてもらえたのではないかと思います。詳細はシェア元からご覧くださいね。

https://livequality.co.jp/hub/about/news/231115?fbclid=IwAR1dPL5kfDwBaOi55BLfZVXTtJy1xrhrhRu8O0UCZ7hnv2jrnC1bbhP2vCg

お寺の日々 2021.10.19

報恩講が勤まりました

10月16日土曜日、年に一度の報恩講をお勤めしました。

毎年恒例の雨予報を掻い潜りながら今回も無事雨が降らずでお迎えできました。
それにしても蒸し暑かった、、、、

今回の報恩講はいろいろ気づきがあった気がします。
今までは当日なんとか迎えれたら、多くのお参りがあれば、との思いで
準備もしてきました。

今年はなぜか、準備から報恩講という感覚になり、掃除や準備から一つ一つが
「恩」を感じながら(なぜなら伽藍ひとつ私のはたらきではなんともできない、
掃除一つできていない私、そんな私に恩が何も言わずに降りかかっている)
法要、片付けまで勤めることができました。

準備する中で、住職夫婦も徐々に体も衰えながらも一生懸命準備をしてくれる。
もういいのに、と息子ながらに思っても時間を見つけてはできる範囲でやれることを勤めていました。
こういった姿も住職夫婦が感じる「恩」によって突き動かされているのかもしてません。

私だけの話。

報恩講の準備をすると(説教の勉強の時もそう)、先代との対話も始まります。

「のぶっ!こっちきて手伝え!」

「のぶっ!これはこうした方がええ。」

「のぶっ!ようやったな!」

ほんとかどうか、耳に聞こえてくる喚び声があります。
ほとけさまもきっと喚びかけてくださっているんだろな、とも。

人間は忘れるのも仕事。
でもなんとかこの気持ちを忘れず、また一年過ごしてまいります。

お参りくださった方、
気にしてくださった方、
そんなに気にならない方、

みんなほとけさまの目当てであることは変わりありません。
ごたいげさまでした。

岡崎・浄泉寺住職 戸田恵信師のご法話。檀信徒の皆さまが口を揃えて「ご聴聞が楽しい、感動した」と帰られました。ありがたい限りです。