お知らせ

お寺の日々 2024.12.01

12月の掲示板伝道

『人には燃えることが重要、燃えるためには薪が必要。薪は悩みである。悩みが人を成長させる。』 松下幸之助

何もないところに火はおきませんし、燃えることなどできません。
当然、燃えるための「薪」があるからこそ、燃えることができるわけです。 悩み=「煩悩」と捉えてみると、煩悩とは、欲、怒り、無知のこと。 人である以上きっと私の煩悩は切っても切れないものです。

でもこの煩悩、なかなか自分であきらかにすることができません。自分は煩悩などないとさえ思ってしまいます。

ほとけさまの教えを聞いて、煩悩に初めて気づく。煩悩は断ち切れない、煩悩と一緒に生きていかねばならない私に気づく。そんな私は煩悩の解決のため、がむしゃらにもがくわけです。

もがくことこそ、悩むこと、考え抜くこと、明らかにすること。

今私の身の回りにあるものこそ、先人たちが我が煩悩に気づき、もがきながら明らかにされた産物なのですね。

おかげさまに感謝、、、


南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.11.07

11月の掲示板伝道

「これからがこれまでを決める」

よく耳にするのが、
「これまでがこれからを決める」ではないでしょうか。

過去変えがたい失敗をしてしまったら、もう打つてはない、そんな気持ちになっています。
しかし、「これからがこれまでを決める」とは、過去も現在も未来も全部数珠繋ぎであることは明らか、さらには、過去失敗したとしても無駄ではない、これからがその糧を我が身に必要な縁だったと捉えることで、「これまで」の意味が異なってきます。

同じ過去、現在、でも未来は捉え方で変化します。

あなたは「これまで」に引っ張られていませんか?
あなたの「これから」のために「これまで」の捉え直しをしませんか?

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.10.01

10月の掲示板伝道

「優しさを持った人は、それ以上の悲しみを持っている」明石家さんま

辛い思い、悲しい体験をされた方ほど、自身の経験を通して、言葉や態度に深みが出てくるのだと思います。結果として、共感ができるからこそ、「優しさ」につながるとのだと思います。

そもそも優しさとはなんでしょうか。調べてみると、

他人の気持ちに寄り添い、思いやりや助けを与えることです。 優しさは、言葉や行動で表現できますが、それだけではなく、心の持ち方や態度にも現れます。 優しさは、自分や相手の幸せを願う気持ちから生まれるものです。 

とありました。

最後の一文にある「相手の幸せを願う気持ちから生まれる」こそ「優しさ」の根源なのかなと思います。

ほとけさまも、私たち生きとし生けるもの全てを救おうを願いをたて、はたらきかえてくださいました。優しさと表現もできますし、「大慈」と伝えられています。

こうしたほとけさまの願いやはたらきに触れる場が、お寺であり、お説教であり、仏教であります。

今月、久遠寺ではほとけさまのお気持ちを取り次ぎ、念仏を広めてくださった親鸞聖人の御恩に報いる法要である報恩講を勤めます。

ぜひ、ご聴聞にご来寺くださいね。心よりお待ちしております。

お寺の日々 2024.09.05

9月の掲示板伝道

「本気でやらないと本気で笑えないんだよ!」江頭2:50

本気になる、ってなかなか難しいですよね。

受験勉強を本気で頑張る、本気で社会課題解決に取り組む、本気で念仏する、、でも、すぐ頭の中に雑念が混じって集中できなくなる、本気のつもりでどこまでが本気かわからなくなるなど、人それぞれに本気のものさしは違うものかと思います。

わたしも法務やお祭りの準備、おてらおやつクラブなどいろいろ預かっているものに本気で取り組んでいます。取り組んでいるつもりです。ただ人心には違いないので、100%と言われると言葉に詰まる、まだまだだな、と思い当たる節もあります。

しかし、ほとけさまは違います。本気です。

本気でわたしたちを救おうとして、十劫(とにかくながいも考えぬいて「南無阿弥陀佛」を伝えてくださった。逃げても追ってでも救いとる、と決意の言葉もあります。最後にわたしたちが笑えるよう、本気でいてくれるほとけさまに向き合い、手を合わせる。

それがお寺かお仏壇か、我が心内か。先に笑顔になれるよう、ほとけさまの本気の願いに向き合ってみましょう。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.08.06

8月の掲示板(再更新)

「気取らないこと。 とにかく飾らない」 志村けん

掲示板を再更新しました。

「気取らないこと。 とにかく飾らない。 」

この言葉には続きがあります。

「 それはすぐに見破られるものですよ。 非常識なことをするためにはまず常識を知らなきゃいけないんだ」

いろいろ世間で目にする非常識なこと。目に余ることも多々あり、すべてに許容はできませんが、素地があるなら認知できる非常識もあるわけです。

知ってて「する」のと、知らずに「する」のとでは、ぱっと見が一緒でも中身が全く違いますよね。なんとなく外側だけで準えた非常識は見破られる。見透かされます。

気取る、飾るは自分にとって良い面ありますが、大きく見せていることには違いありません。仏教で言えば、執着や煩悩ですよね。

よく思われたいという煩悩の塊をいくつも自分にくっつけている私とまず気づくこと。

その上で、「気取らないこと。 とにかく飾らない。」ことは「そのまま」ということ。

「そのまま」でいることは、私の素が伝わり、共感や想いが互いに共有できるのではないでしょうか。

「そのまま」があなたの一番素敵な顔を見せてくれるはず。
「気取らないこと。 とにかく飾らない。」を気に留めてみてくださいね。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.08.01

8月の掲示板

「こうじゃなきゃ!」を捨てれば、自分に合った場所が見つかる
ふわちゃん

こうしなきゃ、ああするべきだ、こうしたい、自分の想いとは裏腹に物事は上手く進まないものですよね。

自分の想いに「執着」している自分に気付かされます。

この執着から離れること、手放すことで初めて気づける、違う視野を持った私が生まれ、私の居場所が見つかるのではないでしょうか。

でも、なかなか捨てれないものですよね。。。

重々承知していますが、ひとつひとつ気づかぬより気づくところからスタートしてみましょう。

南無阿弥陀佛

お寺の日々 2024.07.31

墓地清掃をしました

7月29日15時より炎天下の中ではありましたが、平和公園久遠寺墓地の清掃(小屋のみ)をしてきました。

いつもお参りする度、休憩小屋が休憩しにくい状態がきになっており、まずは不要なバケツの処分と清掃と思い実施してきました。

お檀家さまのお名前や劣化具合を一つ一つ確認していく思わぬ量になってしまい、これはどうしようとなってしまい、いつもお世話になっている光徳石材さんへ連絡することにしました。

お電話口ですぐに回収に来てくれるとの返答をもらい、急にも関わらず対応してくださったことに感謝です。おかげさまですっきりしました。

光徳石材店さんは日頃の墓地清掃(草取り)もお願いしています。昨年のお盆は草茫茫で管理不行き届きではありましたが、今年はおかげさまでお盆のお参りがちゃんと迎えれることができそうです。

みなさまも暑い中ですが、気をつけてお過ごしくださいね。久遠寺平和公園のお参りは8月10日土曜日午前7時から予定しています。炎天下でお参りくださる際は熱中症対策等しっかり準備をお願いしますね。

お寺の日々 2024.07.01

7月の掲示板

【7月の掲示板】

「適当〜辞書で調べると適材適所という意味なんだよ〜」
高田純次

テキトー男で有名な高田純次さんの言葉。
テキトーでいい加減、でもユーモアたっぷりな高田さん。でも、テキトーと適当の違いを辞書で明示してくれています。テキトーとは適当であり、適材適所である、ということ。

テキトーに見えながら、実は適当(適材適所)であり、細やかに目を配らせ対応しつつも、テキトーに魅せていることが魅力なのではないでしょうか。

適材適所。
その時必要な人材と最大限能力が発揮できる場を当てていくこと。

わたしもお寺に生まれ、新栄で育ち、末法の世を生きる一人の人間です。

他者には気軽に対話ができるよう脱力しながら場を整えつつ、適材適所な人材として私以外の方と対話し、安心できる場と力を身につけていきたいと思っています。

テキトーに魅せながら適当で🙏